文は人なり

2013年7月10日

 今日は暑い一日。しかも、お客さんも多くバタバタと園内を走り回り汗だく。早く帰ってシャワーを浴びたい…と考えながら、徒然日記の作成です。そんな慌ただしい一日でしたが、なかなかに実りの多い一日でした。それはなぜかというと、来館してくれたお客さんとの会話が弾むこと弾むこと。中には面白い会話もあり、

  お客さん「一滴文庫のHPをよく見るんですが、もしかして日記を書いていませんか?」
   (S)「え…もちろん書いていますよ。」
  お客さん「もしかして(S)の人ですか?」
   (S)「はい、そうです。なんでわかりました?」
  お客さん「何となく、話し方と文体が…」

 この会話と、いつもの(S)の文章を読んだことがある方は分かるかもしれませんが、無駄な知識と、クドイ文章…すぐにばれてしまいます。「文は人なり」――これは、確かフランスの博物学者のビュッフォンの言葉(←この辺が無駄な知識です)でしたが、今日のひとコマからも、文章というものは確実にその人間を規定しているようです。文章を書いて人に見せるということは、何度も何度も推敲してはじめて出すことができるものですが、最近は整ったネット環境のお陰で、なんの推敲もしないまま、小生のように駄文を思い付くままに垂れ流してしまうケースが多いようにも感じてしまいます(←この辺がクドイ部分です)。本来、文を紡ぐことが苦手な小生にしてみれば、もっと短く的確に!と思うんですが、生来のクドさから無駄に長く伸びた徒然は、そのまま自身に絡みつき、その内、身動き出来なくなるのでは?と、ちょっと怖くなってきています。(S)