表現

2013年2月13日

 本日から、「竹と水上文学 – 第二期展 – 」が始まりました。朝一で来館された舞鶴市からの団体さんからは、「こんな近くにこんな雰囲気の良い施設があるなんて知りませんでしたし、水上文学と竹の関係なんて「越前竹人形」ぐらいだと思ってましたよ。これは勉強になりますね。」との、嬉しいお言葉を寄せてもらいました。
 企画展示や常設展示に携わっていると、どのように資料を提示(表現)すれば一般の来館者にわかってもらえるのか?と、よく考えます。先日のARTを嗜むPROJECTでの話しについても、自分は原稿を用意してできるだけ話しの筋を明確にし、一般の人にもわかりやすいように心がけて話しているつもりなんですが、全く駄目です。なかなか、人前で話しをすることになれていないせいか、自分で話していて「あれ?俺って何を話しているだっけ?」と訳が解らなくなってしまいます。原稿を読みながらでも、この有様(原稿なしだと、論理的な話にはなりません。)です。こんな状態で一般参加者の方がわかる(理解してくれる)はずはありません。渡辺先生は原稿も用意しなくて、よくあんなに楽しそうに話しができるな…と思ってしまいます。先生の話し方は、大勢の人に向かってというより、どんなに大きな会場でも誰か一人の人との会話を楽しんんで話しをしているようにさえも見えます。そんな先生とイベント前にピアニストの今川さんの演奏について話しをしていると「今川さんのピアノは、他の人と全然違う。あの演奏は、まるで今川さんと話しをしているような気分になる。」と、言われてました。そういえば、今川さんも楽譜を見ずにピアノを演奏(浅はかな共通点しか示せず、申し訳ありません。)していたなぁ~と、あの衝撃を受けた演奏を思い出してました。先生も今川さんも、どちらも表現者。表現方法は違っていても、もしかしたら目指している先は同じなのかもしれないのでは?と勝手に考えてしまい、今後の表現(展示やイベント)の参考にしようと、これまた勝手に考えています。勉強しなければならないことは山の様にあり、先の見えない暗く沈んだ深い森に踏み込んだような気分です。まるで、ダンテの『神曲』の第一章ですね。まだまだ、最終章に到達する(永遠なる存在を感じる)のは先になりそうです。(S)