3月2013
久しぶりに
辛夷塢(シンイウ)
曇天…そう、まさにドンテンといった感じです。光は差し込まず、薄暗い、しかも雨はパラパラと落ちてきたかな?と思ったら…いや感じたはずなのに雨は落ちてこない。嫌な一日です。気分も暗く沈んでしまいます。
こんな暗い気分、空も暗く厚い雲に覆われているのに、園内では花が咲き乱れています。そんな寂しげな世界と、華やかな草木を一度に目の当たりにしていると、一つの漢詩を思い出し、早速調べてみました。
「木末の芙蓉の花 山中紅夢を発く 澗戸寂として人無く 糸糸として開き且つ落つ」
『こずえに咲くモクレンの花が山中に赤い花を付けている 谷間の家はひっそりと静まりって人気はなく そぼ降る雨に花は咲きまた散っていく』
と、いった具合でしょうか?唐代の詩人である詩仏王維の作ですが、同じ世界、同じ瞬間に存在しながら一方では暗く、一方では華やかに。ある一瞬、咲く花もあれば、散る花もある。不思議なものですが、哀しさや嬉しさなどの感情は、自らの主観が作り出しているただの幻想なのかと考えさせらレてしまいます。3月の末になり、別れの季節(でも、あと数日もすると4月ですから出会いの季節ですね)となったものですから、沈んだ天気と相まって、なにやら寂しげな徒然になってしまいました。それならばせめて悲しみの深い日には、楽しかった過去の記憶と戯れてみるのもいいかもしれませんよ。(S)
新刊図書
「みんなどきどき動物園 キリン、ゾウ、コアラほか」(2013年3月15日)「みんなどきどき動物園 ライオン、パンダ、サルほか」(2013年3月15日)「オフカウント」(2013年3月25日)の3冊を版元の新日本出版社よりご寄贈頂きました。
一冊目の「みんなどきどき動物園 キリン、ゾウ、コアラほか」は、動物園にいる大きな生き物ってなーんだ。そう、ゾウ、カバ、サイ、などいろいろいるよ。顔はキリン、もようはシマウマというふしぎなオカピや、人気のコアラなどの秘密をはじめ、飼育員とのふれあいなど、飼育員さんが話すみんなの知らない動物園のおもしろポイントも、いっぱい。動物園がもっとおもしろくなる写真絵本。
二冊目の「みんなどきどき動物園 ライオン、パンダ、サルほか」は、サバンナの王者ライオンの「けんか」は、すごい迫力!獣医さんはどんな仕事をしているのかな?みんなが知りたい動物園の裏側を、飼育員さんが、わかりやすく教えてくれます。動物園で大人気のパンダやゾウなどの生き物の秘密も大公開。もっと動物園へ行くのが楽しみになる、小学校低学年からの写真絵本。
三冊目「オフカウント」は、ダンスユニットを結成したリョウガと牧野とタモちゃん。目標は文化祭出演。昼休み、理科室前の廊下が秘密の練習場になった。恥を忍んでダンスをみてもらったリエから「ひどい」と言われ、三人に火がついた――。一本気で頼りになる牧野、マイペースで繊細なタモちゃん。親友二人とリョウガの等身大で純粋な中学生活。
楽しい絵本を寄贈いただきました。3冊とも本館図書室ブンナの部屋にあります。お立寄りの際に是非ご一読下さい。(T)
モノの本質、ヒトの本質
本日、ついに六角堂のダルマストーブが撤去されてしまいました。まだまだ寒い日もあるかもしれませんが、そろそろ直火から巣立つ頃合いということでしょうか。今日は一日、六角堂の外から所在なさげに中を見つめるダルマストーブの表情がどこか寂しげにも見えましたね。
そんな寂しげなダルマストーブと重ね合わせるような自らの心情もあり、休憩中にコーヒーカップを見つめながら、外に置いてあるダルマストーブとかコーヒーカップの本質っていったい何?などと、くだらないこと(?)に思考を傾けていました。もちろん、ダルマストーブの本質は、中に薪をくべて火を焚き暖炉として活用するモノ。コーヒーカップは中にコーヒーを入れて人が内容物を飲むための媒体となるためのモノ。それぞれデザインによって形は違っていても、本質となる型は同じ(要するに、コーヒーカップがコーヒーカップとして成り立つためには、大前提として底が抜けていたらコーヒーカップとしては成り立たないですね。ダルマストーブも同じです)だな…などと、本当にくだらないことで頭のなかはいっぱいでした。しかし、ここからが本題です。では、ヒトの本質は?モノは、何かをするために作られていますので、その本質は、それに耐えうるモノ。ヒトは何をしでかすかわからない(笑)ので、本質(ヒトとは、こうあるべきだ!かくあるべきだ!というやつですかね?)なんて無いのかもしれませんね。
ダルマストーブの哀愁漂う姿から、本質(中身)の無い(薄い)自分自身の悲哀にまで思考がめぐる一日。悪いものではないのですが、はたから見たら、このヒト大丈夫だろうか?と心配されてしまいそうですね。う~ん…一滴文庫の六角堂でコーヒー片手に哲学Caféを開いてみたいですね。どこか近くに、いい講師の先生(ニーチェやハイデガー、もしくは西田幾多郎似の…)はいないものでしょうか?(S)
花の名前
枝垂れ桜の開花
飛び出す紙芝居 in 名田庄
寄贈本
あれは去年の7月だったでしょうか。とある来館者の方と色々なお話しをさせていただき、その会話のなかで「水上作品が好きで色々な本を集めましたが、もうそろそろ処分しようかと考えています。貴重な本も中にはあったんですけどね。」とのお言葉を聞き、迷惑も考えずについつい「文庫にも収蔵されていない本もあるかもしれませんし、今後色々な活用法もありますので、よかったらご寄贈ください。」と言ってしまいました。もう、あれから半年以上が過ぎ、そんな会話も日々の業務に飲み込まれて、何所にいってしまったのかというような状態でした。しかし、先日、あの時の来館者の方から「ようやく整理がつきましたので、そちらに寄贈します。」との嬉しいご連絡がありました。しかも、送られてきた書籍の数々は状態も綺麗で、どれだけ今まで大切にされてきたのかが容易に浮かんでくるような状態のものでした。
これらの本を前にして、うれしさは募りますが、反面、身の引き締まる思いになっているのも事実です。これだけ大切にされ想いの詰まった本の数々を、どのように活用していくとご寄贈していただいた方の想いに報いることができるのかと、考えることの多さに頭を抱えています。でも、そういう楽しい悩み(?)なら、どれだけ多くてもいいものですね。(S)