一滴の雰囲気
あれは先日のこと、とあるお客様を本館展示室にご案内させていただきますと、一言「いや、これはまいった」と手を叩かれました。どうかしましたか? と尋ねると、お客様の地元で昔、同じ様な文化施設の立ち上げに携わったことがあったそうなんですが、一滴の雰囲気を数歩感じただけで「これだった!」と思ったとのことでした。もっと地元に密着して、ただの美術作品の展示場としてだけではなくと散々模索していたけど、結局ハード面(建築面)は他の施設と変わらず、ソフト面(内容)を充実させた(地元の作家さんや音楽家さんを招いてのイベントなど)だけで終わってしまったほろ苦い思い出がよぎったとのことでした。お客様の「これだった」の「これ」が、いったい何を指していたのかはお聞きできませんでしたが、一滴文庫の雰囲気にかなり感じ入っていたご様子でした。
まぁ、ここは水上勉の想いだけでできているのではなく、渡辺淳をはじめとする地元の皆さまの支えで成り立っている施設ですからね。一朝一夕でできるものでもありませんが、改めて一滴のすごさを感じさせていただいた瞬間でした。(S)
春蘭(シュンラン)
善行の先
コンサート会場の『門』をくぐって
先日、お休みをいただいて名田庄で行われたとあるイベントに参加してきました。はて、何のイベントかというと、あの今川裕代さんのピアノコンサートです。会場は超満員で、お集まりの皆さまの期待もかなり高かったのですが、それを見事に上回る素晴らしい演奏を聴くことができました。このコンサートは、ちょうど一年前くらいから計画されていたのですが、渡辺淳先生が「聴きに行きたいから頼むね!(一緒に連れて行ってとの意味)」と言われていたコンサートでした。先生はよく「今川さんのピアノは、繊細なんだけど力強さがあって(即非の論理ってやつか?)、音の波が心に直接響いてくるような感覚があって好きなんだ」と言われて、今回の公演も楽しみにしておられました。今回はご一緒することが叶いませんでしたが(いや、もしかすると、すごく楽しみにされていたので会場のどこかに…)、いつかまた淳先生と一緒に聴きたいですね(たぶん、まだ数年は先になるかと)。
しかし、人をあれだけ楽しませるその裏側には、どれほどの時間と努力が隠れているのか! 小生にはうかがい知る術もありませんが、本当にすばらしい時間を過ごさせていただきました。その前日(14日)、小生も高浜で拙い話を披露する機会があり、自分なりに時間と努力を重ねてみましたが、いったいどれほどの人が心から喜んでくれたのか? 自身の不甲斐無さを不幸だと思ってしまう今日この頃です……。あっ、これは小生の講演で夏目漱石の気持ちを代弁して語った不幸談義の一端でした(笑)。
「彼は門を通る人ではなかった。また通らないですむ人でもなかった。要するに彼は門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった」夏目漱石『門』より
これは、作者である漱石が主人公の宗助につけた評価ですが、たぶん漱石が自分自身に課した評価でもあったのではないかと私は考えております。なぜならば……ってな具合にですね。こちらも多くの方にお越しいただき、ありがとうございました。拙い話で申し訳なかったのですが、精一杯務めさせていただきました。(S)






