【最優秀賞】 茶山昌子(滋賀県)
■水上勉作品名: 「湖の琴」(講談社)
■撮影場所: 滋賀県余呉湖
■撮影日時: 2017年1月14日
■コメント:
「湖の琴」に雪の余呉湖はでてきません。
でも私は雪の余呉湖をながめながら、さくと宇吉を思い出します。
「その宇吉のかなしみに被いかぶさるように、雪は湖北を真白に染めていった。冷たい冬の風が、湖北の野面を音をたてて撫でていた。
山も野も湖も雪に埋もれる冬は長かったのである」
今、この冷たい雪の中でも、私にはさくと一緒に微笑んでいる宇吉の顔が浮かんできます。
【優秀賞】 堀川恭司(福井県)
■水上勉作品名: 「飢餓海峡」(新潮社)
■撮影場所: 福井県丹生郡越前町
■撮影日時: 2017年4月1日
■コメント:
今年4月、越前岬灯台の隣接地にある水仙ランドで水仙の花見頃を過ぎた3月からペットボトルを利用した電飾「ペットボタル」のイルミネーションを実施している水仙岬のかがやきを見に行ってきました。
夕暮れ時、淡い電飾の光がたくさん浮かび上がる幻想的な景色の中、岬をすれすれにフェリーが北上していくのをみて、何故か、「飢餓海峡」のクライマックスで世紀の犯罪人、樽見京一郎が持船、北海丸に乗って、この越前岬の沖を通過し、北海道に連行され、津軽半島西岸で海にとびこんだ姿を連想しました。
樽見京一郎の持船は北海道の物産を舞鶴まで運ぶ定期船で、今では、フェリーが同じような航路を就航し、人や物資を運んでいます。その昔は、あの北前船がこの役割をはたしていました。水上先生もこのことを参考にされたかどうかはわかりませんが、沖の船の甲板には、哀愁にみちた樽見京一郎の姿が見えたような気がしました。
【優秀賞】 森瀬一馬(福井県)
■水上勉作品名: 「湖笛」(講談社)
■撮影場所: 滋賀県長浜市湖北(琵琶湖)
■撮影日時: 2017年4月
■コメント:
羽柴秀吉が越前を落して琵琶湖はもはや自分の手中のものとなったと思い、塩津から堅田衆の迎える舟に乗って坂本に向ったのは5日の夕刻である、という件(くだり)がある。
越前を落とし、覇者となった秀吉が塩津沖の舟上で私がこの日見たと同じ水鳥が飛ぶ穏かな夕日を見たと考えると、思わず切り取った1コマです。
この場所は、これまでにも何回となく訪れている土地ですが、いつ来ても同じ風景、そして同じ夕日がない事で私には魅力のある場所で、これからもかよいたいと思っています。
【町長賞】 田端みつ子(京都府)
■水上勉作品名: 「霧と影」(新潮社)
■撮影場所: 福井県高浜町城山公園
■撮影日時: 2017年4月18日
■コメント:
この春は青葉山(若狭富士)のダイヤモンドヘッドを撮ると夫と日参した。高浜町の城山公園のちいさな山の中腹あたりから山に沈む夕陽にシャッターを切る。そんな日々の中で山の頂きだけが顔を出しドーナツの様なグレーの雲が山を囲む情景に遭遇。「霧と影」の中の青峨山の神秘を思いおこさせてくれる様だ。県境からさほど遠くない舞鶴に住む私は、福井県の身近で知った地名に興味深く想像をふくらませ、死火山にくり広げられるサスペンスに、ここ数日の暑さも忘れ読み終えました。
【入選】 猿橋 純(福井県)
■水上勉作品名: 「金閣炎上」(新潮社)
■撮影場所: 福井県おおい町うみんぴあ
■撮影日時: 2017年8月5日
■コメント:
「これは自分の推察にすぎないが、金閣を焼いた犯人の小僧が、どういう動機やったか、それはかんたんにはいえないにしても、金閣寺には、もう一つ暗いところが口をあけてたような気がしたな。それは何やろか。黒板の走り書き見たときに、そんなことが自分の頭をよぎったな」この司馬遼太郎のセリフに出てくる金閣寺のもう一つの暗いところ(金閣寺に隠された闇の中)で燃え盛る炎。金閣を焼いた養賢の心に湧いた動機の炎。黒板に走り書きされた、金閣に対して怨みともとれる「また焼いたるぞ」の字に込められた意志の炎。そして事件の発端である金閣の炎上と、この事件を取り巻くさまざまな炎を一枚の写真に表現してみました。闇の中で燃え盛る炎が、隠された真実を全て灰に変えてしまう。本当の事は誰にも分からない。
【入選】 橋本弘子(福井県)
■コメント:
「三百年も前、湖と湖を結ぶ堀割工事が行なわれた。当時の郡代奉行、行方久兵衛が、二年の歳月をかける。岩石を打ちくだくに、トンガでこぼち、モッコをかついで運んだ。いくたの失敗をかさねながらつづけるわけだが、おそらく、この工事に、狩りだされた人夫も、百姓であったろう。殿様の自宅である『城』の石垣を築くために、谷々の奥から巨石が発見されると、飢えながらもこれを運ばされた、あの惨酷な築城悲史にくらべると、はるかに救われる。浦見治水によって、付近の農民のうけた恩顧は大きい。(中略)そこここにみられる巨大な岩石や、洞穴をみていると、久兵衛の指図で百姓が血を流したトンガのけずり跡がある」
私が行った日は浦見川の水路が静かに流れ、水鳥も多く、奥の方までよく見えました。そのうちに遊覧船はせまい水道の岸すれすれに枝を張る紅葉の下をくぐって行きました。山を登りながら向こう岸を見ると、木の茂った間から川が見えかくれしている。谷は深いので、池のようになっている所は岩の削った跡が見えました。(久々子湖-浦見川-三方湖に入る所 赤橋から)
【入選】 吉野耕司(京都府)
■水上勉作品名: 「飢餓海峡」(新潮文庫)
■撮影場所: 京都・舞鶴市三浜海岸
■撮影日時: 2016年12月18日
■コメント:
戦後の世相の中での代表作の一つに水上勉の「飢餓海峡」がある。
本作品の主人公犬飼多吉は樽見京一郎の名で、京都・舞鶴市で、暗い過去を海霧の中に包んで、まちの名士として暮し続ける。
事件が発生した北海道では函館警察署の刑事が殺人事件を追い続け、さらに10年後には、犬飼の新聞に掲載された顔写真を見た酌婦の杉戸八重が舞鶴に逢いに来て逆に殺され、地元舞鶴の警察の刑事が捜査をはじめる。
撮影した写真は、八重が水死体で見付かった若狭湾の風光明媚な海岸線の近くでカモメの一群が一日もかかさず、八重の魂をとむらうがごときに飛んで来て羽を休めている光景である。
犬飼、八重、そして刑事らの間には越えることの出来ない海峡が存在していたのだろう。まさに水上文学の真髄であると感じた。
【入選】 石津義雄(福岡県)
■水上勉作品名: 「通潤橋まで」 (実業之日本社刊「絵ごよみ わが旅Ⅰ」より)
■撮影場所: 熊本県上益城郡山都町長原
■撮影日時: 2017年1月2日
■コメント:
「熊本県の矢部町を訪れた際、名高い通潤橋を見た。話には聞いていたが、やはり行ってみるものだ。ダンプカーも、クレーン車もなかった時代に、大勢の石工たちが、水の不便で苦しむ高台地の農民を助けようと、巨大な水道橋を建造したのである。橋の下は遊園地になっていたが、川岸に佇んで、天に架かった手づくりの石橋を仰いでいると、涙が出てくる。人々がまだ、機械というものに頼らないで、工夫辛労して生きた、その営為の尊さが心を打つのだった」と、冒頭に書かれている。今年の正月現地を訪れた。
町の名前は矢部町から山都町に2005年に変わった。昨年4月16日の熊本地震は益城町や広い範囲に大きな被害をもたらした。中でも20㎞北にあった、近代技術の粋を集めて47年前に造られた阿蘇大橋が、跡形もなく、川に消えてしまったニュースは大きく報じられた。訪れた阿蘇神社の社殿も崩壊していた。参拝を済ませ、帰路、通潤橋を訪ねた。160年の間幾多の風水害や地震もあっただろうが、びくともせず働き続けたこの石橋。しかし、今回の地震で、外観は何もなかったように見えたが、大役の水運びの水管が、地震で接着剤の役目をしていた漆喰がずれて水漏れをするようになり、送水が止まった。この建築物は国の重要文化財のため、すぐには手がつけられず、国の指示待ちと聞いた。この橋を造った石工の記述がある。「『この橋坐り申さば切腹してお詫び申し候』
と一札をふところに入れて、石工の卯吉は通水式にのぞんだとしるされる。弟の丈八は明治六年、政府の招きで東京にゆき、二重橋、日本橋、浅草橋、万世橋の眼鏡橋を架ける」とある。それにしても見事な水道石橋、放水が出来る日を待ちたい。
【入選】 杉谷孝博(京都府)
■水上勉作品名: 「五番町夕霧楼」(新潮文庫)
■撮影場所: 京都府伊根町新井崎
■撮影日時: 2017年7月20日
■コメント:
夏に入り、新井の棚田も「なか干し」に入った。浜風に揺れる青田の様子を伺いに農夫が来たようだ。
この物語のスタートは丹後の樽泊。樽泊はこの写真の新井付近にあたる。丹後の奥伊根には現在も沢山の棚田が伝承され、昔を今に伝えている。
夕子や正順が、子供の頃を過ごした昭和初期も今と変わらぬ景色であったに違いない。
主人公片桐夕子は、木樵の娘として登場しているので、今で言う林業の一家であるが、娘を青楼に送らねばならぬ程の貧困。半農半漁、小さな田畑に汗を流していたのは容易に想像できることだ。この棚田と農夫に美しくも大変な苦労を感じ本作品の世界を重ねた。
【入選】 堀川あけみ(福井県)
■水上勉作品名: 「日本の風景を歩く 越の道 越前・越中・越後」 (河出書房新社)
■撮影場所: 福井県丹生郡越前町
■撮影日時: 2016年12月24日
■コメント:
「日本の風景を歩く 越の道 越前・越中・越後」の中の越前岬の箇所に「水仙の咲いている畑は断崖の上の傾斜面にあった。かろうじて、そこに土がのこっていて、岩が土の流れを喰いとめているといった部分に、水仙は根強くかたまりになって咲いていた。もともと、越前水仙といわれるのは、野生の花から出発したものらしくて、これが、正月用の剪花(きりばな)として、武生や福井をはじめ遠く関西各都市に歓迎されるようになるまでは、放ったらかしにされて群生していたものである」又、別の箇所には、「水仙乙女が、水仙を背負って、越前の山々を越える姿はもう無くなったのか。私は、ここにも時代の波が押しよせてきているのを知った」
現在では、いろんなところで水仙も栽培されるようになり、水仙乙女という方はいなくなってしまい、水仙の収穫や出荷は、他の農業などと同じようにお年寄りの仕事となってしまいました。
ただ、今でも、越前岬の断崖の上では、越前水仙が可憐に咲き乱れており、夕日と相まって絶景を見させていただいています。
【入選】 石川 繭(香川県)
■水上勉作品名: 「五番町夕霧楼」(新潮文庫)
■撮影場所: 京都府与謝郡伊根町
■撮影日時: 2017年1月30日
■コメント:
作者水上勉の故郷若狭から西に面する丹後半島。
その大きな半島の突端位置に「舟屋」で有名な伊根町がある。海に面した一階が舟引場になっていて、二階部分が居住空間になっている歴史的建造物であり、何百年と姿を変えず、今現在も住居として佇む景観は圧巻である。
ただ、丹後の雪は重く、北風も厳しいので傷みも早いのか、海に向かって傾く舟屋も点在する。
本作の舞台「樽泊」は架空の地名であるが、そんな伊根町を中心とした舟屋のある小さな漁村の一つであったのは間違いない。作者はこの舟屋群から宮津に行く連絡船に片桐夕子や檪田正順を乗せて、五番町へと物語を進ませるのだ。
【入選】 森瀬一美(福井県)
■水上勉作品名: 「湖笛」(講談社)
■撮影場所: 福井県小浜市神宮寺(森林の水PR館)
■撮影日時: 2016年10月
■コメント:
確か前回の「帰雁忌」の帰りに立寄った、小浜市神宮寺の森林の水PR館に、奈良東大寺の「お水取り」に先がけて神宮寺と遠敷川の鵜の瀬で繰り広げられる「お水送り」の神事を再現した若狭和紙人形が並んでおり、その姿は圧巻でした。
この神事は約1200年前から行われているらしく、思えば京極高次は、妹竜子の行方を尋ね、若狭小浜の万徳寺を訪ねる場面がありますが、その中で、高次もこの神事を見ているかと思うと、何か興味を持たずにはいられない気持ちになり、この1コマを切り取ってみました。
【入選】 山田信雄(福井県)
■水上勉作品名: 「越前竹人形」(中央公論社)
■撮影場所: 福井県あわら市
■撮影日時: 2017年8月26日
■コメント:
小説は、小浜三丁町をイメージして県内唯一の温泉町芦原温泉を舞台に書かれベストセラーとなり、舞台となった芦原温泉や題材となった竹人形は多大な恩恵を受けて来たとの事です。
小説の中、喜助の父喜左衛門が作ったおいらんの竹人形、喜助が見そめた玉枝のケットを羽織り、雪ぐつ姿の竹人形は、小説の題名にたがわず要所要所に登場します。竹人形職人喜助と芦原温泉の玉枝の貧しくも悲しい物語です。先般文学座による舞台公演「越前竹人形」が紀伊國屋ホールで開催され、登場する竹人形は、小説の恩恵を受け成長して来た福井の竹人形(写真)です。また「名作ゆかりの温泉宿」の記事を特集された旅行誌の末尾には「日本の底に、ひっそりと守り伝えられている一途な美しさを感じる事が出来た」と竹人形職人の姿が紹介されていました。郷土に根付いた素朴で名もない竹人形こそ、水上先生の小説のなごりの様に思えてなりません。
【入選】 下防辰也(大阪府)
■水上勉作品名: 「故郷」(集英社)
■撮影場所: 福井県おおい町の海岸
■撮影日時: 2017年8月14日
■コメント:
水上先生の作品には「故郷」に限らず故郷を思う心が表れており、作品には原子力発電所の建設で変わり続ける様子や原発についての思いが書かれている。原発の賛否は別として、多くの作品作りには挿絵を渡辺淳先生が書かれていました。
今年のお盆休みにおおい町へ帰省したその日に、渡辺先生がお亡くなりになりました。故人先生方の故郷に対する思いは深いものがあったと思うが、我が世代は現実を受け止め、新時代にしっかりと根付いた街づくり推進しなければならない。
私は、たまたま渡辺先生のお孫さんと同級生であり、今年の帰省時におおい町の中心である"うみんぴあ"と若狭の象徴である"青戸大橋の見える海"を撮影してみました。撮影した日が渡辺先生のお亡くなりの日と知りご縁を感じ応募させて頂きました。
【入選】 知見 治(福井県)
■水上勉作品: 「越前竹人形」(新潮文庫)
■水上勉作品名: 「故郷」(集英社)
■撮影場所: 福井県おおい町名田庄下
■撮影日時: 2015年11月30日
■コメント:
人には必ず故郷がある。
地元を離れたことが無いものが言うことではないのかも知れませんが、若者にとっては田舎は暗く、淋しく、不便で、陰気臭い気がするのだろう。そして、都会には輝かしい未来がありそうでいい人生が送れる気がするのだろう……か。
年を重ねていくにつれ、恥じらいも薄れ、方言をしゃべっている自分がいる。毎日の風景が普通になっていて、感謝を忘れていた事に気付くのである。読んでいくにつれ、山、川、たんぼ、そして田舎のしきたりが浮かび上がってきて、何とも言えぬ懐かしい風景が、目に見えるようである。
【入選】 石庭孫義(滋賀県)
■水上勉作品: 「越前一乗谷」(中央公論社)
■水上勉作品名: 「湖笛」(角川書店)
■撮影場所: 滋賀県高島市勝野・大溝城址
■撮影日時: 2017年4月13日午後1時
■コメント:
昭和50年代、JR湖西線で通勤途上で湖北の地を舞台にした小説を好んで読んだ。「湖笛」との出会いにより郷土史が趣味になり、現在は仲間と古文書の解読を楽しんでいる。
JR湖西線近江高島駅の東側に、戦国末期に信長が甥の信澄に築かせた大溝城があった。北湖から南湖まで一望できる地は琵琶湖を掌握する拠点であった。お城に面した内湖は外堀の役割をしていた。その後お城は解体されたが、本丸跡や石段を登ると天守台跡・周囲の石垣が残され往時が偲ばれる。江戸時代になると、今の三重県から分部候が藩主となりこの地に着任して、周囲の城下町を整備し、比良山麓の湧水を利用した古式水道や井戸水を巧みに利用する生活形態を今に伝えている。
このような水を使う智恵を伝える大溝(勝野)の地と綺麗な内湖の乙女が池はまた、奈良時代最大の内乱である「藤原仲麻呂の乱」の最終決戦の地と言われ、「水と暮らしの文化・大溝の水辺景観」として国の重要文化的景観に選定されている。
天正13年4月京極高次が和泉一揆を平定し山崎の出城で秀吉と会見したが、はつをくれてやるとした約束は一言もなく、もうお前にやらぬと約束を反故にした秀吉のやり方を思い出し歯ぎしりをしたとある。大溝城に帰った高次は、はつは自分を待っていると信じ、意を決した高次は、はつを求め結ばれた。そしてはつの高次を慕う思いを知ったのである。天正14年10月3日はつ、茶々を大阪に迎える秀吉の使者が来て二人は辛い別れをしている。その後、高次は小田原攻めに加わり勲功をたて秀吉から八幡山城を与えられた。この時はつを嫁にと願い出て、近江での京極家の再興の基礎固めと二つ願いが叶ったのである。「若狭守護群記」には、天正18年12月5日に互いの思いの地の大溝城で華燭の式を挙げたと記されている。
京極高次・はつが暮らした面影は今はないが、本丸跡や天守台跡・大きな石垣と乙女が池を巡る散策路が整備されている。桜が満開の高次・はつの思い出の地、大溝城址を切り撮った。
【入選】 門野和子(福井県)
■水上勉作品名: 「五番町夕霧楼」 (中央公論社「水上勉全集」より)
■撮影場所: 福井県おおい町名田庄中
■撮影日時: 2017年8月16日
■コメント:
夕霧楼の遊女夕子の死骸は「一本の老朽した百日紅の根もとで発見」と記されている。 夏が来て百日紅が咲くといつもこの小説を思い出す。作者が「薄幸な遊女の死をせめて百日紅の満開の花で飾ってやりたい」と語ったのを今も覚えている。
百日紅の花木は、中国に勉学に行った学僧が持ち帰ったという。それだけに、寺院や庄屋又豪農の家などにしか植えられなかったといわれ、一般の家では植えられなかった。この写真の百日紅は歴代庄屋を務めた家の庭先にあり、樹齢三百年余りの老木といわれている。
花の命と夕子の命が満開の紅色の百日紅と重なり、私はこの花の根元に立ち静かな時を送った。
この花を見ると夕子たち二人の男女の生涯が思い出される。