• 猿橋純(福井県)
    【最優秀賞】 猿橋純(福井県)
    • ■水上勉作品: 「若狭日記」より「いさざの春」(主婦の友社)
    • ■撮影場所: 佐分利川河口
    • ■撮影日時: 2015年3月
    • ■コメント:
      「一滴文庫の前を流れる佐分利川河口にも、春さきにこのいさざが湧いた。湧いたといったが、まったくそのとおりで、海に近い河口の水面を黒い布でもしいたように、とつぜんあらわれるのだから、湧くとしかいいようがない」
      今は、遡上するいさざも少なくはなりましたが、春さきになると佐分利川でいさざを獲る人の姿を今でも見かけます。
  • 佐伯範夫(島根県)
    【優秀賞】 佐伯範夫(島根県)
    • ■水上勉作品: 「飢餓海峡」(河出書房)
    • ■撮影場所: 仏ヶ浦
    • ■撮影日時: 2016年7月24日
    • ■コメント:
      仏ヶ浦の岩壁に陽が照っていた。
      男は細いまがりくねった道をとぼとぼと歩いてくる。
      牛滝の部落が見えはじめた時かすかな安堵の色がただよいはじめたとある。
      ここで殺人犯であっても人である一面をのぞかせる。
      この地を選んだ作者は全て計算ずくめだったんだろうか?
      奇形な岩壁は神々しさの中にも犬飼の恐ろしい心を映し出したようにも見えた。
  • 髙田正年(福井県)
    【優秀賞】 髙田正年(福井県)
    • ■水上勉作品: 「故郷」(集英社)
    • ■撮影場所: 高浜町神野浦
    • ■撮影日時: 2016年8月26日午前11時
    • ■コメント:
      私は今「冬の浦」に来ています。高浜中心部より西に向かい、京都府に近い内浦半島の付け根ともいうべき「冬の浦」ならぬ実名「神野浦」です。着くまでに海岸へ下りる道がわからず、道端で農作業をしていたご婦人に「海岸までどの道を行くのですか」とたずねたところ「桃源寺横の村道を通り、そうやなあ、1,2㎞先に右に下りる大回りの道があるんで」とのことで、お礼を述べ、その通り進むと村落の田畑を通り内浦湾が広がる広大な景色が目にとび込んできました。海岸線にへばりつく漁村集落、神野浦の港である内浦港も見え、大きな貨物船、その右岸端には高浜原発の一部も見える。神野浦は数キロメートルの距離で原発に隣接している集落です。
      海岸にたどり着き集会所の空地に車を止め、写真撮影を始めました。漁港の突堤の先端からは、若狭の霊峰青葉山を背に30軒ほどの家屋が立ちならび、昔からの船小屋もあり、まさに作品「故郷」と言うにふさわしい感動を得る。
      この風景と背景から水上勉氏が作品のイメージを作られ、松宮清作の孫娘キャシーとの面会から芦田夫妻の人生紀行までドラマは展開していったのでしょう。
      撮影中に夫婦で農作業を終え、軽トラに乗ろうとするご主人に聞いた。「ここ水上作品の神野浦は良い所ですね」と風光明媚の意味合いで言ったものの、ご主人は「そんだけええとこでもねえ!」との返答。その言葉の中には、原発銀座と言われるまでの巨大産業はあるが、過疎化が進む農漁村とそこに生活する者とのミスマッチの意味合いも含まれているのであろうか?
      今、青葉山を背にドラマが展開する神野浦で、この若狭で原発銀座の中に生活する人々の思いを感じ取りながら、数十枚の写真を撮影し終え、この美しい故郷若狭に何も起こらなければよい事を祈って帰途に着きました。
  • 猿橋麻生(福井県)
    【町長賞】 猿橋麻生(福井県)
    • ■水上勉作品: 「日本の風景を歩く 越の道」(河出書房新社)
    • ■撮影場所: 福井県越前町
    • ■撮影日時: 2016年1月1日16:37
    • ■コメント:
      海鳴りに耳を澄ましているような
           水仙の花ひらくふるさと (俵万智)

      「海は壁のごとき断崖に向って吠え、風は、海に向って断崖の肌を吹きすさび、その黒まだらの岩肌を雪が舞った。(中略)その丘に、なぜ、あのような花が咲くのだろう。黄色い水仙であった。冬の凍て土に花が咲くのだ。こんな断崖はどこにもないのであった」(水上勉)

      では私も応えてカシャッ。越前海岸から丹後半島に沈む夕日を撮らえています。これは珍しく、20年に一度の確率。三人とも福井県人で越前水仙を表現しています。
  • 石津義雄(福岡県)
    【入選】 石津義雄(福岡県)
    • ■水上勉作品: 「水上村の桜」(立風書房「在所の桜」より)
    • ■撮影場所: 熊本県水上村
    • ■撮影日時: 2016年4月5日
    • ■コメント:
      「たとえ、そこはいかに遠くてもいちどどうしても見たいと思う桜がある。それが、私には九州熊本県の水上村の桜であった。もちろん私の姓との因縁も大いにあるのだけれど、まい年の花だよりにも水上村は鹿児島の次ぎに出てくる。熊本県でも、宮崎県境に近い球磨くま川上流のダムの村である。南九州一の高山といわれる市房山の麓で、地図を見ると山奥にはいってかなり高地の様子で、私には憧れの村といえた」と、始まる「在所の桜」、「水上村の桜」である。
       このご本を読み、この場所にいつかは行って桜を見たいと、いつも思っていた。4月はじめ、福岡から高速道を走って人吉、そして、水上村に出かけた。市房ダムの周囲は桜が満開を少し過ぎた位でそろそろ桜吹雪が舞い始める頃だった。市房ダムの周囲は14㎞、その周囲に植えられた桜は2万本と村の案内書には書いてあったが、植えられて55年が経過すると、若干少なくなっているように感じた。それでも、周回道路を巡り、ここまで来てよかったと、思わせるだけの桜をたっぷりと鑑賞することができた。中でも感動したのは、桜の背景に市房山が見え始めた時だった。運が良かった。この場に立って、生前の水上先生から水上村のこと、水上姓の話、「海の牙」のことなどを直に聞いた時のことを思い出しながら、しばらく瞑想していた。
  • 橋本弘子(福井県)
    【入選】 橋本弘子(福井県)
    • ■水上勉作品: 「高瀬川」(集英社文庫)
    • ■撮影場所: 京都 木屋町高瀬川
    • ■撮影日時: 2015年10月24日
    • ■コメント:
      高瀬川は天正年間に角倉了以が大仏殿建設の材料をはこぶために開いた運河である。その後伏見から、いろんな物資をはこぶのに役立ってきた川だというが、いまは舟の通る深さはない。木屋町通りは鴨川の両岸に石垣を積み、もと鴨川原であった砂地の上に盛り土をつくってできた町だ。二百九十年前である。
      京都で法要があり、法要後賑やかな狭い道に間口の狭い料亭が何軒もありました。玄関を入ると昔ながらのたたずまい。なつかしい。二階に通されると、表通りよりえらい静か。車も人も通らない? 聞きましたら、下は高瀬川。窓の下は川が流れている。石垣高く積んでぎりぎりまで家の軒先がならんで見える。今は鯉が泳ぐ位で浅いです。
      昔高瀬川読んだ記憶あり、思い出したので、帰りに高瀬川の橋の上から写しました。とってもおだやかに流れていて、京都らしい小さいオアシスです。眺めているとほっとしました。
  • 渡辺剛(京都府)
    【入選】 渡辺剛(京都府)
    • ■水上勉作品: 「飢餓海峡」(朝日新聞社)
    • ■撮影場所: 舞鶴市
    • ■撮影日時: 2016年8月13日
    • ■コメント:
       作品は小説「飢餓海峡」で終盤の舞台となった東舞鶴の夜景です。
       樽見京一郎(犬飼太吉)の住まいがあった「行永」は中央手前になり、工場のあった「朝来」と「北吸」はそれぞれ右と左になります。
       また「行永」から撮影場所の菅坂峠を越えると上林谷になり、主人公の生家があったとされる地名の「北桑田郡奥神林村(綾部市奥上林?)」、「念道」、「山家」へと通じ、小説の逆ルートに辿りつきます。
       もしかすると生家は「奥上林」をイメージされたのではと考えさせられます。
  • 石川繭(香川県)
    【入選】 石川繭(香川県)
    • ■水上勉作品: 「はなれ瞽女おりん」(新潮文庫)
    • ■撮影場所: 京都府与謝郡
    • ■撮影日時: 2016年8月8日
    • ■コメント:
      「瞽女さん」は北陸が主のようで、「はなれ瞽女」となったおりんのような方々が丹後のほうまで巡業されたのか定かではないが、丹後でなくとも行く先々で様々な景色の「匂い」と「音」を楽しまれたことであろう。特に「花」は老若男女問わずよく愛される。向日葵もほんのり甘い香りで、このように畑一面となると、目をつむっても、私でも感じられるほどである。
      おりんのような「瞽女さん」の気持ちには遠く及ばずとも、今こうして向日葵畑の中で「匂い」と「音」に集中し本作品を回想してみると、行く先々で感じる景色を目以外の全身で喜びとして感じていたのに違いない。

      (写真 ひまわりの晩夏)

  • 杉谷孝博(京都府)
    【入選】 杉谷孝博(京都府)
    • ■水上勉作品: 「五番町夕霧楼」(筑摩書房)
    • ■撮影場所: 京都府与謝郡伊根町
    • ■撮影日時: 2016年4月4日
    • ■コメント:
      二人の主人公片桐夕子と櫟田正順の出身地、丹後の奥伊根に足を運ぶ。千枚田に一本の桜の古木が優しく咲いていた。
      本作品は約70年前の時代背景になるが、田畑も海も、小道も山も同じだったはず。桜の木が唯一幼木だろうか。きっと二人も、この青空の下、同じ景色の中で遊び、育ち、恋愛し、そして出発したのだろう。
      二人揃ってこの地に戻る事はなかったが、夕子が一人戻った後も生きていれば、この桜の樹齢と同じくらいでなかろうか。丹後の春を華やかに迎える桜には、正順の姿が似合いそうだ。

      (写真 奥伊根の桜)

  • 上中孝子(福井県)
    【入選】 上中孝子(福井県)
    • ■水上勉作品: 「日本の風景を歩く 若狭」より「鯉とり文左」
              (河出書房新社)
    • ■撮影場所: おおい町名田庄小松谷
    • ■撮影日時: 2014年6月29日
    • ■コメント:
      川に入って魚を獲る文左の技術は、すべて文五郎に教わったもので、文左は、五、六歳頃から父に随いて佐分利川をしょっちゅう往来している。川には鯉ばかりでなく鰻も鮎もいた。文五郎は文左に「得意場」を教えてこれを村の誰にも告げてはならぬといい渡した。得意場とは、そこへゆけば、鮎がかならずいるという溜り場のことであって、そこは、佐分利川でも、かなり流れの早いところか、もしくは岸に、猫柳や、銀柳の小枝がたれているわずかな蔭地に苔の生えた青い石があった。
      川は魚たちにとっては生活の場所であり、人間にとっても、命の水であり、いこいの場、いやしの場所ともいえるのではないでしょうか。
  • 石庭孫義(滋賀県)
    【入選】 石庭孫義(滋賀県)
    • ■水上勉作品: 「湖北の女」(集英社)
    • ■撮影場所: 長浜市西浅井町菅浦集落
    • ■撮影日時: 2016年8月16日
    • ■コメント:
      昭和50年頃、通勤途上のJR湖西線で「湖北の地」を舞台にした小説を好んで読んだ。「湖北の女」もその一つで、小説の地「菅浦」は私の住む今津の対岸に見る馴染みの漁村である。湖北は岬や半島が琵琶湖に突き出て、山や岩礁が湖に落ち込んでいる。「葛籠尾半島」の先端近くの湾に菅浦があり、半島の付け根の「大浦」から7㎞程離れている。平成の合併で伊香郡西浅井町から長浜市に変わった。

      菅浦は淳仁天皇隠棲の地とも言われまた、中世社会の生活(惣村)を理解するための手助けとなる古文書群(総称して「菅浦文書」という)が残され、国の重要文化財になっている。そして惣村の伝統を受け継いだ「菅浦の湖岸集落景観」は国の重要文化的景観に選定され菅浦は全国に知られている。

      小説の主人公「葛城浅子」は父「高平」母「さだ」の一人娘で、父は戸数22戸の菅浦の分教場で教鞭をとっていた。分教場は高台にあり、学校の窓から湖面に浮かんだ竹生島が見られ、浅子は好んでこの景色を眺めていた。父は村人に尊敬される人物であったが、小学六年生のときに縊死した。新聞はその原因を「神経衰弱」と報道していたが、浅子は目撃した母の「不倫」に疑惑を抱いていた。いくら村人に尊敬されていた父でも縊死は村の大事件であり、母と浅子は追われるように菅浦から大浦に移った。浅子にとって菅浦は、父と暮らした楽しかった幼少時代とは反対に、父の死で悲しい思い出の地に変わった。

      「浅子」が暮らした当時の村の面影を探してみた。竹生島は半島の先に隠れてしまうため村の入口でしか見えなかった。漁港近くは波除けの大きな石垣、湖に面した小さな通りは家の前面に石垣を築いた往時の面影を残している。この菅浦の「湖岸集落特有の景観」を撮ってみた。真夏の漁村は静かで、湖岸に小波が音もなく寄せては返していた。
  • 森瀬一馬(福井県)
    【入選】 森瀬一馬(福井県)
    • ■水上勉作品: 「古寺巡遊」より「湖東三山訪記」
              (平凡社 水上勉紀行文集第3巻)
    • ■撮影場所: 滋賀県愛知郡愛荘町(金剛輪寺)
    • ■撮影日時: 2015年11月28日
    • ■コメント:
      「湖東三山訪記」は、「湖東三山は、百済寺、金剛輪寺、西明寺をいう。ともに天台宗の古刹だが」で始まり、金剛輪寺は「杉木立の道をかなり登りつめた地点に本坊明寿院があり、そこから、本堂までは、みどりの楓に両側を囲まれた、古雅な石の道だ」。
      私共夫婦も、晩秋に水上先生と同じ経路を歩かせて頂きました。
      明寿院から本堂手前まで、真っ赤に染まった楓に囲まれ見ごたえがありました。
      その中で、明寿院から本堂に向かう参道の両脇には、数百メートル余りは続く千体地蔵は、これまた圧巻の風景で、目に焼き付いて離れませんでした。
      次回からは、季節を変えて訪れたい気持にさせられた湖東三山の一寺でした。
  • 森瀬一美(福井県)
    【入選】 森瀬一美(福井県)
    • ■水上勉作品: 「越前竹人形」(中央公論社)
    • ■撮影場所: 京都市右京区嵯峨小倉山田淵山町(嵐山竹林の道)
    • ■撮影日時: 2015年12月下旬
    • ■コメント:
      昨年、京都嵐山を主人と旅をしました。詳しくは覚えていないのですが、確か、大河内山荘から野宮神社に向かう途中に「竹林の道」があり、しかもライトアップがされて、光と影が織りなすその風景に心が洗われる思いがしました。この情景を見て、水上先生が執筆された「越前竹人形」が思い浮かびました。「竹細工師の喜助は妻玉枝に母の面影を感じ、手さえも触れようとはせず、仕事に励み、玉枝への思いを形にした見事な竹人形を仕上げた。そんな喜助の思いが分からず、寂しさからか、玉枝は一度の過ちを犯し、死へとたどり、その後、喜助もまた自らの命を絶っていく」物語でしたが、竹林の中に密かに咲いている椿が玉枝、その下で大きく支える楓が喜助に見えて心打たれ、思わず切り取った一枚です。
  • 茶山昌子(滋賀県)
    【入選】 茶山昌子(滋賀県)
    • ■水上勉作品: 「湖の琴」(講談社)
    • ■撮影場所: 滋賀県余呉湖
    • ■撮影日時: 2016年8月24日06:40
    • ■コメント:
      「そうだ……さくと一しょに、この箱の中へ入って、深い、深い湖底に沈んでしまえば、むかしから眠っておられるという仏さまたちの仲間に加われるだろう。いっそのことさくと一しょに、静かに眠った方が……どれだけ……楽しいことか」
       そう思って、宇吉はさくと一しょに余呉湖に沈んだ。
       その余呉湖畔に一羽のサギがずっと湖面を眺めていた。
       私はふと、さくがそこにいるかのような錯覚におちた。何を思ってたたずんでいるのか……。
  • 堀川あけみ(福井県)
    【入選】 堀川あけみ(福井県)
    • ■水上勉作品: 「越前竹人形」(新潮文庫)
    • ■撮影場所: 福井県あわら市
    • ■撮影日時: 2015年8月9日
    • ■コメント:
       水上先生の著書「越前竹人形」の一場面で「芦原の旅館街は、回廊に手すりのついた二階を両側にならべていて、芝居の書き割りでもみるみたいに、花やかであった。父と一しょに泊った宿は、町のまん中へんにあって、旅館の中でもかなり大きい方であった。大勢の女中が広い玄関に手をついていて、紅い襷たすきをかけていたような記憶がある。みんな髷まげを結っていた。みんな白粉おしろいをぬり、口紅もくっきりとひいていて、廊下を通ると、女のむせるような匂いが鼻をついた」とあります。
       時代はかわりましたが、今も芦原温泉は華やかで、夏になると芸妓さんや、おかみさんたちが、あでやかなゆかた姿で、盆踊りを催し、お客様をおもてなしていました。
  • 堀川恭司(福井県)
    【入選】 堀川恭司(福井県)
    • ■水上勉作品: 「越前一乗谷」(中央公論社)
    • ■撮影場所: 福井県大野市
    • ■撮影日時: 2015年10月18日
    • ■コメント:
       戦国時代劇では、浅井長政の小谷城の最期をよく取り上げますが、何故か朝倉義景の最期は、あまり取り上げている場面をみたことがありません。水上先生は本書(「越前一乗谷」)にて同族の景鏡に裏切られ、騙されて、一乗谷から終焉の地、大野に一族と共に逃れて、非業の最期を遂げる姿を描いています。
       時は流れて、現在、大野は、朝倉義景没後に織田信長の配下の金森長近によって築かれた、越前大野城が天空の城として有名になりました。
       偶然にも天空の城の展望台となっている犬山は、義景を裏切った景鏡の居城であり、霧に覆われた、街中の一角には、義景の墓所があります。
       この展望台から朝早く、霧の発生した天空の城を眺めていると、二度と裏切られたくない義景が自分の居場所を隠すために大量の霧を発生させているように思えます。
       雄大な美しい景色のなかにも、何か、もの悲しい無念さを感じたのは私だけでしょうか。
  • 門野和子(福井県)
    【入選】 門野和子(福井県)
    • ■水上勉作品: 「わが六道の闇夜」
              (水上勉全集第12巻 中央公論社)
    • ■撮影場所: 京都 等持院
    • ■撮影日時: 2014年5月8日
    • ■コメント:
      作者は、9才で相国寺塔頭の瑞春院へ徒弟として入ったが、寺の生活がいやで、この寺を脱走し、のち、寺を変えて等持院へと弟子入りした。
      この寺は足利将軍家歴代の菩提寺で、歴代将軍の木像が安置されている。
      作者はこの寺で先輩達の陰湿ないじめに逢い、やがてこの寺をも脱走しているが……「様々なことを学んだ」と書いている。
      弟子として奉公した水上は、この寺内庭園の掃除もしたであろう。小さい頃の水上にとって、奉公人の仕事は大変きつく辛かったであろう。
      若葉青葉の美しいこの時期、書院から望む庭園は、幾多の人の手によって育てられ、管理され、このような美を醸し出しているのである。
      かつての多くの人々の苦労を思うと、すまし顔の館と庭の彩りに感謝する。