• 渡辺剛(京都府)
    【最優秀賞】 渡辺剛(京都府)
    • ■水上勉作品: 「写真丹後路」(講談社)
    • ■撮影場所: 伊根
    • ■撮影日時: 2012年8月25日
    • ■水上作品との関連:
      「浜にせり出した二階建ての舟小舎は、このあたり独自のもので、舟のいない小舎は一日床下を波が洗っている。若狭湾漁業の代表的漁場として、ぶり漁で名を馳せてきたが、若者の近海遠征の勇ましさにくらべて、村は街道にへばりつく、百戸にみたない小造りな集落にすぎない」
    • ■コメント:
      「昭和6年頃、小さな蒸気船で、江尻から城崎までこの半島を迂回、海上から眺望した一日が忘れがたい」水上先生の思い出の丹後半島です。
      写真は夏の夜の伊根湾。月あかりに浮かぶのは青島と舟小舎で、当時と変わらぬ風景です。
  • 後卓夫(福井県)
    【優秀賞】 後卓夫(福井県)
    • ■水上勉作品: 「椎の木の暦」(中央公論社)
    • ■撮影場所: 高浜町高野
    • ■撮影日時: 2013年8月24日17時ごろ
    • ■水上作品との関連:
      水上先生は昭和19年から20年まで高浜町高野分校で代用教員として勤めておられました。この作品は当時の子どもたちや村人たちとのふれあいを基にして描かれています。
    • ■コメント:
      (旧)高野分校は現在農機具小屋として使われています。ひっそりとした校舎のまわりには、子どもたちにかわって赤とんぼが飛びかっていました。「このお地蔵さんは、上に道ができたときに、元防空壕があったこの場所に移してきたんです」と話してくださったこの女性は、偶然にも当時の水上先生の教え子でした。にぎやかだった当時のことを懐かしそうに話してくださいました。
  • 石津義雄(福岡県)
    【優秀賞】 石津義雄(福岡県)
    • ■水上勉作品: 「鶴の来る町」(角川文庫)
    • ■撮影場所: 鹿児島県出水市
    • ■撮影日時: 2013年1月30日13:30
    • ■水上作品との関連:
       鳥本かね子が刀禰吉の骨壷を抱き、雪子をつれて、九州に帰ったのは九月末のことである。出水は刀禰吉が現住所とした町だった。ここを根拠地として刀禰吉は日本一の養蜂家になりたいと願っていた町であった。(中略)かね子は出水の駅に下りたった時、ふと、ここへ来た最初の日のことを思い浮かべた。枕崎から、刀禰吉を追うてきた三月の光景である。海ぎわにひろがる黒土の田圃の上に、いま、白い半紙を散らしたような鶴が幾羽も舞った。
       「雪ちゃん、もうじき、鶴がくるばい……鶴がくる」
       と、かね子はいった。

       季節は少し後になりましたが、この日、13138羽飛来したと表示がありました。

    • ■コメント:
      読み進み、養蜂家が鹿児島から北海道にかけて養蜂箱と移動する一家の様子を知った。昭和22年の出来事は、この物語の重要な項目として、コラ台地、枕崎台風、吉田内閣の混迷、力を増す労働攻勢、2.1ストライキを占領軍司令部のマッカーサーが口頭で中止命令を出す権力の見せつけ、主人公の刀禰吉がかね子に教える蜜蜂の生態、石島貞吉が刀禰吉に教える交換養蜂、従来型の養蜂との比較、南北協力で行う作業法などに興味がわいた。ポイントになっているストライキと列車ダイヤの乱れが、国鉄職員の怠慢から送った蜜蜂が全滅、刀禰吉の精神障害などが起こる。夫に代わってかね子らの補償交渉が始まり、ストを指導する組合幹部の無責任さ。「前例がない」と、補償交渉を逃げる国鉄幹部。壁は厚い。抗議の座り込みに参加している病身の刀禰吉は死んだ。「結局は泣くのは名もないわたしたちだけか」、かね子のつぶやきは、水上先生の怒りでもあったろう。と、九州にいて、むなしさや怒りが湧き上がってくる。
  • 河内フジ子(大阪府)
    【町長賞】 河内フジ子(大阪府)
    • ■水上勉作品: 「湖笛」(ごま書房)
    • ■撮影場所: 余呉湖
    • ■撮影日時: 2013年1月8日
    • ■水上作品との関連:
       湖北の一隅に、沼のようにかくれた小さな余呉湖は、いま木立のあいまに落とした水銀の粒のように灰いろの光りをうかべていた。
       余呉を越えれば越前であった。京極高次は、額の汗をふきながら、ひと足も休まずに北へ北へと歩いた。
       天正十年八月十三日、琵琶湖をうしろにして山を分け入る道も、はや蝉の声でさわがしかった。
    • ■コメント:
      高次は秀吉に反旗をひるがえし、長浜を攻めたが、失敗に終わり、越前をたよって逃げる途中の文章です。夏草に足をとられながら、道なき道を峠まで辿り着いたのでしょうか?そこから見た余呉湖を失意の人となった高次はどのような思いで眺めていたのでしょう……!私が行ったのは冬の日でした。湖面は鏡のように美しく澄んでいました。白い雲と、暗く映った賤ヶ岳の影、そして遠くに見える民家の雪風景。まるで長い間時間が止まっている。そんな思いでシャッターを切りました。
  • 門野和子(福井県)
    【ファン賞】 門野和子(福井県)
    • ■水上勉作品: 「在所の桜」(立風書房)
    • ■撮影場所: おおい町名田庄中区の桜並木
    • ■撮影日時: 2013年4月8日
    • ■水上作品との関連:
      「在所の桜」では各地の桜を紹介しているが……。作者は故郷佐分利川辺に幼少のころ多くあった桜並木もまた紹介し、昔を偲んでいるが、在所の桜ということであれば、この名田庄中区の堤防に咲く桜を紹介したい。
    • ■コメント:
      名田庄中区の堤防に咲く100本余りの桜並木をぜひ紹介したく、今回出品した。
      植樹して20年余り。村の青年達が下草を刈り、害虫の駆除や病枝の剪定等行い、爛漫の春を迎えている。まさに「櫻守」の努力の結果である。作者がもしこれを見、この話を聞かれたら、必ずやエッセイ集に取り上げられたことと思う。村民、いや、県外の方々も多く立ち寄ってくださるこの桜並木を一度は見にきてください。それは見事な景観です。時にはモデル嬢を同行しての撮影も行われていました。
  • 浅見信夫(愛知県)
    【入選】 浅見信夫(愛知県)
    • ■水上勉作品: 「醍醐の桜」(新潮社)
    • ■撮影場所: 京都市伏見区小栗栖森本町
    • ■撮影日時: 2013年3月30日
    • ■水上作品との関連:
      (P.219)古い三階のアパートに「トドさんと住んでいます」とハガキにもあった山根さんの棟番号はわからない。(中略)その岸の斜面を、手をあげた五、六人の子供らと、山根さんが走ってくる光景が浮かんでは消えた。染井吉野の垂れた枝の間から、花びらが雪のように散るのを眺めつくして私は病院へもどった。
    • ■コメント:
      醍醐での入院生活において、家政婦山根さんは、先生の大切な思い出となっている。東京から醍醐の病院に戻られたのは、山根さんにもう一度会っておきたいと思われたからだ。手土産にコーヒーの詰め合わせを買うこともできた。小栗栖の市営住宅へ向かえば、きっと会えるのではないかと。写真は遠方に醍醐山がわずかに見え、山科川の堤防沿いに市営住宅が建つ。堤防道路に桜が咲く。この時期は人出も多いだろう。先生の思い出を感じながら、長い間、写真を撮らせて頂いた。
  • 石庭孫義(滋賀県)
    【入選】 石庭孫義(滋賀県)
    • ■水上勉作品: 「湖笛」(角川文庫)
    • ■撮影場所: 滋賀県高島市今津町角川地先
    • ■撮影日時: 2013年8月24日15時
    • ■水上作品との関連:
       天正十年旧七月十七日の真昼である。山道はうだるように暑かった。
       「佐兵衛、湖がみえるの」
       馬上の武士が首すじの汗をふきながら供侍の一人をふりかえった。

      「湖笛」の湖北悲愁、水坂峠の場面である。峠は若狭から近江へ行く一番の難所である。馬上の武士、武田孫八郎元明は、秀吉によって海津の宝憧院で自害に追い込まれようとは知る由もなかった。水坂峠近くの静かな山里、角川集落の棚田は稔りの季節である。

    • ■コメント:
      水坂峠は若狭湾に注ぐ北川の源流であり分水嶺である。近年、この峠の手前を迂回してトンネルを掘り、旧道の葛折の峠道を通らなくてもよくなり、難所は解消された。以前、峠越えの古道に足を踏み入れてみたが、道は狭く険しい坂道、まさに難所であった。武田元明が越えた峠道はもっと険しく、宝憧院で起こる大事を暗示していたように思える。若狭方面に車で向かうとき、「湖笛」の水坂峠の場面を思い出し、静かな山里にカメラを向けた。
  • 氏家宗雄(福井県)
    【入選】 氏家宗雄(福井県)
    • ■水上勉作品: 「故郷」(集英社文庫)
    • ■撮影場所: 県道小浜綾部線永谷坂
    • ■撮影日時: 2012年11月3日10:24
    • ■水上作品との関連:
      第七章「和田山まで」より
      「生まれ故郷には心身を洗ってくれるところがある。(中略)都会の埃によごれて、いろいろ屈折して生きてきた。(中略)いったい、ロサンゼルスやニューヨークのどこに、あの杉木立の参道のように心身を洗いきよめてくれる場所があっただろう」
    • ■コメント:
      洗濯の水は衣服の汚れを落としてくれる。また滝の水は身体および心もきれいに清めてくれると思う。水上先生は滝に打たれて水行をされたのかは存じませんが、私は仏壇にお茶湯をするときに写真を見ていると心の落ち着きが感じられます。
  • 北村和子(京都府)
    【入選】 北村和子(京都府)
    • ■水上勉作品: 「弥陀の舞」(朝日新聞社)
    • ■撮影場所: 綾部市黒谷町
    • ■撮影日時: 2013年6月17日
    • ■水上作品との関連:
      「くみが紙をすいた唄がきこえてくる。
        五箇の女良衆は働き者よ
        よこざべんけでこきまわす
        しまえしまえと蜩ゃ啼けど
        しまい仕事でしまわれぬ」
       (中略)寒中に女達が手を凍らせて漉いた製法は今日も変りはない。越前和紙が何枚もつみ重ねてあると、そのへりに手をあててみるがいい。漉いた女の、ぬくもりがつたわってくる」
    • ■コメント:
      黒谷町も和紙の里で母の故郷である。今も残る黒谷川の清流をまん中に挟んだ集落の美しさと木の橋。両側に紙漉き小屋が立ち並ぶ。一歩踏み入れると水と紙が踊る音とそして紙の香り。板干しの白い風景。今は亡き母の手に引かれ、幾度も見てきた私の忘れられない風景。ある日四十半ばとおぼしき女性に出会った。「紙漉きを母から受け継いでもう十年以上になる」という。無心に漉く後ろ姿に主人公くみが重なった。紙漉く音と紙の香り。母の手のぬくもり。そして白い風景が甦ってきた。
  • 北村悠二郎(福井県)
    【入選】 北村悠二郎(福井県)
    • ■水上勉作品: 「在所の桜」(立風書房)
              「飢餓海峡」(朝日新聞社)
    • ■撮影場所: 美山町鶴ヶ岡洞集落
    • ■撮影日時:
    • ■水上作品との関連:
    • ■コメント:
      「飢餓海峡」の樽見京一郎はこの在所で生れたとされている。また「櫻守」の弥吉もこの在所で生れている。作者はよほどこの山家風景が気に入ったのか、「周山、鶴ヶ岡を結ぶこの丹波渓谷が、私になつかしく思われるのは、在所への道だからという一語につきるが、私は『飢餓海峡』を書いた時、主人公の在所を求めて二度ばかりこの奥を丹波を歩いた。だいそれた犯罪者の在所を洞部落としたのは、ほかでもない、そこが私の在所に背中をあわせていたからで、フィクションとはいうものの、村の描写には力をこめた」と述べている。ちなみに、この谷奥の峠を越えると、上林谷へ下りる古道がある。
  • 猿橋純(福井県)
    【入選】 猿橋純(福井県)
    • ■水上勉作品: 「くも恋いの記」(青春出版社)
    • ■撮影場所: 名田庄
    • ■撮影日時: 2013年7月11日
    • ■水上作品との関連:
      「金色の女郎ぐもに会いましたら、私は今日でも掌にのっけます。そして、弱っていれば息吹きかけ、陽の照った、虫の来そうなところへ放ってやります」
    • ■コメント:
      松戸の国府台では娘を連れてくも捕りをして、家の庭に放して大事に育て、毎日眺めて暮らしたり、豊島区へ引っ越した際は、家の庭にくもが巣をはるのに都合がいいように木を植え、松戸までわざわざタクシーを走らせて女郎ぐもを十数匹も捕まえてきて、庭の木へ放して育てようとしたりと、水上先生の女郎ぐもに対する愛情の深さを感じることができます。この女郎ぐもに対する愛情の深さは、八つまで育った岡田での幼少期の思い出への深い思い入れがそうさせたのかもしれません。写真ではありますが、ここに水上先生が愛した女郎ぐもを贈りたいと思いシャッターを切りました。
  • 猿橋麻生(福井県)
    【入選】 猿橋麻生(福井県)
    • ■水上勉作品: 「越の道(越前岬)」(河出書房新社)
    • ■撮影場所: 福井県越前町
    • ■撮影日時: 2013年2月21日14:47
    • ■水上作品との関連:
      「海は壁のごとき断崖に向って吠え、風は、海に向って断崖の肌を吹きすさび、その黒まだらの岩肌を雪が舞った」「その丘に、なぜ、あのような花が咲くのだろう。黄色い水仙であった。冬の凍(い)て土に花が咲くのだ。こんな断崖はどこにもないのであった」
    • ■コメント:
       いっせいに柱の燃ゆる都かな(三橋敏雄)S20.7.19福井空襲、損壊率84.8%、死者1,684人。S23.6.28福井地震、震度6、死者3,728人。県都はどれほどの涙を流してきただろう。(中略)そして復活を誓い、選んだ県花は「水仙」。その理由をこの写真であかしたい。
       上記、水上さんの文章から、①誰が見ても野生の水仙である。②花が見頃である。③雪が降っている。3つの条件を重ねた。3年がかりのワンショットである。
  • 杉谷孝博(京都府)
    【入選】 杉谷孝博(京都府)
    • ■水上勉作品: 「飢餓海峡」(新潮文庫)
    • ■撮影場所: 津軽海峡沖
    • ■撮影日時: 2013年8月10日
    • ■水上作品との関連:
      山河は幾千年変わらぬように、この津軽海峡もまた、当時のままに、時に荒く、時に静かに、その姿を伝承する。犬飼多吉が大金を片手に渡りきった暗闇の海峡も、夕日がじんわり沈むまさにその時に身を投じたその海も、ここである。会社を大きく造り上げることで得た財産を善行活動することで自分を慰めていたものの、貧困からの脱出と引換えに犯した罪を、殺人を暴かれることへの罪を、この海峡で洗い流したかったのではないだろうか。
    • ■コメント:
      「海峡は荒れていた」で始まるこの作品の結末もまた、「海峡に日が落ちたのだ」と水上勉は締めくくっている。その舞台となる津軽沖のドス黒い海峡に落ちていく太陽はまるで主人公の人生の結末であり、執念で追い、捕えた犬飼多吉を逃がした警察側の落胆でもあり、この物語の中の哀しみをすべて夕日とともにこの海へ投じているように思う。この最終舞台に使用された樽見所有船「北海丸」は架空の船ではあるが、私は偶然にも、同じ舞鶴と北海道を結ぶ定期航路の船員であり、この津軽海峡を夕刻に見ると、作中のさまざまなその後の物語を思い馳せるのである。
  • 千秋清治(福井県)
    【入選】 千秋清治(福井県)
    • ■水上勉作品: 「越前竹人形」(中央公論社)
    • ■撮影場所: 長浜市木之本町
    • ■撮影日時: 2013年1月20日
    • ■水上作品との関連:
      元芦原の芸妓玉枝が竹人形の職人喜助との生活を夢みて京都から蒸気機関車に乗り、南条地区竹神に帰る時に通った、北陸本線木之本町での撮影です。
    • ■コメント:
      山間の竹林の多い竹神の氏家喜助と玉枝との新しい生活の場へ鮫島が訪ねることで玉枝の人生の大きな転機になろうとは!!
  • 長田真(石川県)
    【入選】 長田真(石川県)
    • ■水上勉作品: 「湖笛」(ごま書房)
    • ■撮影場所: 小浜市下根来
    • ■撮影日時: 2012年8月4日
    • ■水上作品との関連:

      「水は自然の堰をつくり、淵をつくって流れをゆるめたり、あるいは、つぶて石のむらがる底を透明に見せながら、走るように流れていた」

      天正十一年四月二十四日、北の庄落城。主人公、京極高次は若狭へ落ちのびる。神宮寺から万徳寺へ。秀吉に抗うべきか否か?
      迷いの中、高次は猷山和尚のすすめにより、仙岳禅師に会うために根来川をさかのぼって行く。

    • ■コメント:
      根来川は、現在の遠敷川だと思い、撮影しました。

      「眼をつぶれ」
      と、仙岳はいった。高次は眼をつぶった。すると、眼前は真っ暗となり、樹々をわたる風の音と、川水の落ちる音がはげしく耳にきこえるばかりである。

      場面を想像して、高次のように目を閉じ、耳をすませてみました。
  • 西田仁巳(滋賀県)
    【入選】 西田仁巳(滋賀県)
    • ■水上勉作品: 「しがらき物語」(新潮社)
    • ■撮影場所: 滋賀県信楽
    • ■撮影日時: 8月14日
    • ■水上作品との関連:
       信楽焼の里である滋賀県信楽で撮影した作品です。新潮社発刊の「しがらき物語」の表紙絵とは少し様相が異なっているかもしれませんが、傾斜を付けて昇っていくその形は、まさに登り窯の本質を捉えていると感じました。時代が変わっても変わらない本質に目を向ける。これこそ水上作品の「業」というか、宿命だったのではないかと思います。
    • ■コメント:
       現在、食器といえば大量生産によって作られた海外からの輸入品が主流となり、日本国内どこにいっても同じような器ばかりが目に付く。このような社会的情勢の中で、現在でもなお稼働し続けている信楽の登り窯を目にし、窯から出てくる器を彩る自然釉やビードロ釉のここでしか表現できない緋色が飛び込んでくると、水上勉の描いた「しがらき物語」が脳裏に浮かぶ。昭和という大量生産、大量消費が当然と考えられる時代にあり、師弟二代にわたって時代に抗い続けてきた陶工の生涯は、この消費社会で生きている私の心を強く撃ち抜く。
  • 藤塚有紀(石川県)
    【入選】 藤塚有紀(石川県)
    • ■水上勉作品: 「花守の記」(毎日新聞社)
    • ■撮影場所: 石川県河北潟
    • ■撮影日時: 2013年5月5日
    • ■水上作品との関連:
      『さて、この蓮根の収穫だが、畳一枚に根をひろげた巨根を掘りおこす作業は、なみたいていのことではない。古くから「掘り男」とよばれる力もちがいて、一日数十貫を掘りあげるという』(「蓮華の章」より)――まさに河北潟に見にいきましたら、そのとおりに、泥にうまりながら「掘り男」が作業しており、泥にうかぶ舟には大量の蓮根の山でした。
    • ■コメント:
      「花守の記」に「蓮華の章」があり、私の大好きな蓮根の話があり、また金沢の蓮根を作っている河北潟は広大な畑や蓮根田が広がる場所で、まさにこの作品に書かれているとおりの所です。石川の蓮根は大変に美味しく、またお盆には蓮の花や蕾が出回ります。作品のとおり、蓮根農家の皆さんの、この写真のように泥につかりながらの重労働のおかげで、美味しい恩恵を頂けるのだなあと思い、感謝いたしました。
  • 堀川恭司(福井県)
    【入選】 堀川恭司(福井県)
    • ■水上勉作品: 「櫻守」(新潮社)
    • ■撮影場所: 海津の清水の桜
    • ■撮影日時: 2013年4月8日15:08
    • ■水上作品との関連:
      「日本に古い桜は多いけんども、海津の桜ほど立派なもんはないわ。あすこの桜は、天然記念物でもないし、役人さんも、学者さんも、知らん桜や。村の共同墓地に、ひっそりかくれてる。けど、村の人らが枝一本折らずに、大事に守ってきてはる。墓場やさかい、人の魂が守ってンのやな」
    • ■コメント:
      海津の清水の桜を今年も見に行ってきました。青空の下、お墓に囲まれるように咲く桜は、なぜか昔のよき時代の日本の原風景を思い出します。たぶん、この風景をみて水上先生も「櫻守」を執筆し、主人公の弥吉の終焉の地と考えたのではないかと思いました。
  • 牧野良一(福井県)
    【入選】 牧野良一(福井県)
    • ■水上勉作品: 「北国の女の物語」(講談社)
    • ■撮影場所: むつ市恐山
    • ■撮影日時: 2009年8月5日08:54
    • ■水上作品との関連:
      沖子が地蔵堂の河原から、はるかに釜状の山をふりかえった時だった。そこには眼くるめくような新緑の樹々が風にふかれていた。それは、眼前の荒涼とした地蔵河原と正反対の、五月の陽に輝いた樹々の生きる姿だった。沖子は美しいお山の姿を息を呑んで瞶めた。
    • ■コメント:
      見える恐山の景色は山塊であり、地蔵堂へ行く途中に硫黄泉のふき出る河原があり、そこに墓を思わせる淋しい堂が建っていた。山は急に神々しいような怖ろしいような沖子の魂をゆりもどすように被いかぶされた。
      下北で死んだ者は、すべて恐山に眠るのだという古老たちの言葉。これが日本三大霊場かと思いが引かれ、この写真を選びました。
  • 三浦三博(福井県)
    【入選】 三浦三博(福井県)
    • ■水上勉作品: 「雁の寺」(新潮文庫)
    • ■撮影場所: 京都相国寺
    • ■撮影日時: 2013年8月22日正午ごろ
    • ■水上作品との関連:
       慈念は、実家から遠く離れた地で独りさみしく慣れない生活を送っていた。
       母親の元を幼少の頃に離され、まだまだ母親の愛情が欲しかっただろう。
       その思いが小説の終わりに、襖に描かれた雁の親子の部分を破って持ち去った。寂しさが故の行動だったのだろうか。
    • ■コメント:
       慈念は「池の面をじっとみつめて立って」いる。池の鯉に向って竹小刀を投げつけ、それが鯉の背中に突きささり、血が「水面に毛糸をうかべたように線になって走った」。
       現在の池には天界橋が架かり、蓮の花が咲いていて、穏やかな風情をみせている。
  • 森瀬一馬(福井県)
    【入選】 森瀬一馬(福井県)
    • ■水上勉作品: 「湖笛」(毎日新聞社)
    • ■撮影場所: 滋賀県長浜市湖北(琵琶湖)
    • ■撮影日時: 2013年7月
    • ■水上作品との関連:
      『塩津から、堅田衆の迎える舟に乗って坂本に向ったのは五日の夕刻である。
      「(中略)ちょうど戌(いぬ)の刻、木下殿の舟が竹生島に向って進んでおりまするとき、突如、暗闇の中から矢を射る者があり、大騒ぎとなりました」』
    • ■コメント:
      覇者となった秀吉は夕刻船出し、竹生島に向って進んでいるときに襲撃されるが、船出した頃の空模様を考えると、襲撃の前兆であるがごとく、その夕日はいつになく暗く、竹生島もどんよりと見え、この小説の一部が浮び、夕日と竹生島の湖北の畔でシャッターを切りました。
  • 森瀬一美(福井県)
    【入選】 森瀬一美(福井県)
    • ■水上勉作品: 「湖笛」(毎日新聞社)
    • ■撮影場所: 福井市毘沙門橋(足羽川)
    • ■撮影日時: 2013年7月
    • ■水上作品との関連:
       「ふけぬだにうちぬるほどを夏の夜の
           別れを誘ふほととぎすかな

       お市の方が詠んだこの宴の歌に勝家は珍しく歌を返している。

       夏の夜の夢路はかなき跡の名を
           雲井にあげよ山ほととぎす

       (中略)落城前夜の北の庄の悲哀は、ほととぎすの鳴きわたった足羽川の夜空の色に象徴されていたのであろうか」
    • ■コメント:
      柴田勝家の居城北の庄が羽柴秀吉に包囲されて、落城する前日、勝家に娘を連れて逃げてくれと言われたお市の方は「わたくしは夫を二度も失いたくございませぬ……」と言い、自害を決意したが、その夜の足羽川の夜空は決戦の血の色ではなくて、川は中州で別れて合流する流れであり、勝家とお市の方の絆を感じさせる夕焼け色に思えて、心静かにシャッターを押しました。
  • 吉野耕司(京都府)
    【入選】 吉野耕司(京都府)
    • ■水上勉作品: 「飢餓海峡」(文藝春秋新社)
    • ■撮影場所: 舞鶴市アンジャ島前の小橋海岸
    • ■撮影日時: 2008年8月15日
    • ■水上作品との関連:
      本作品は人生の醜さを持つ男の心を飢餓ととらえ、その男に人生を助けられた女性が幸福な一生を送れなかったことを、海峡を越えられなかったと表現している。そのクライマックスの舞台は京都・舞鶴の若狭湾に浮かぶ「アンジャ島」に設けられた。過去を隠し通そうとする男、追いかける刑事、恩人と慕う杉戸八重の持つ運命が、飢餓と海峡の文字に託され、物語が進められ、その最大の舞台として「アンジャ島」を登場させている。
    • ■コメント:
      この写真は若狭湾の沖合に先祖送りの精霊船を流す地元舞鶴・小橋の漁村に古くから伝わるお盆の行事である。いつごろからか杉戸八重の水死体が漂着した「アンジャ島」に近寄り霊を慰めてのち若狭湾の沖合へと漕ぎ出されるようになったらしい。「アンジャ島」の名前の由来は、不治の病でこの島に隔離された年ごろの女性が仲のよかった兄に「兄(アニ)さん助けて~」と泣き叫ぶ声が潮風に乗って「アンジャ~」と聞こえたことから付けられた。水上作品では、この伝承から、女性の持つ心根のやさしさ・温かさを表現する舞台に「アンジャ島」を選んだ。傑作で、代表作品と思う。