【最優秀賞】 河内フジ子(大阪府)
■水上勉作品: 「帰山の雁」(角川文庫)
■撮影場所: 今庄駅
■撮影日時: 2012年1月24日
■水上作品との関連:
「村人は帰川に沿うた二里の杣道を歩いて、いまは北陸線駅のある今庄町へ買い物に出る。その途中も、景色の美しい渓谷である。旅人は越路をトンネルでくぐりぬける。で、最初にみるのは今庄駅のホームで、ここで窓ごしに当地名産のつるし柿を買い漁る慣わしだ。じつはこのつるし柿も帰の里の女たちが、軒端の渋柿を丹精し、白粉がふくまで、短い冬陽に干しさらしたものである」
■コメント:
大正8年の秋末、おたきが乳呑子を背中にくくりつけて弥市をたずねて来た時も、お坊さんの試験を受ける日弥市と佐一が京に行く日も、又、昭和3年4月2日、春光院住職と佐一が出家する日旅立ったのも、この駅のホームだったでしょう。私は水上先生と物語に出てくる人々がどんな思いでこの山々に囲まれた小さな駅を行き交ったのかと想像しながら、冬のホームにカメラを向けました。
【優秀賞】 藤本外史(福井県)
■水上勉作品: 「飢餓海峡」
■撮影場所: 下北半島大間崎
■撮影日時: 1963年5月
■水上作品との関連:
■コメント:
写真は1963年5月、下北半島の旅の途中で“本州最北の地”として大間崎を訪れた時の一枚です。
その日の津軽海峡は穏やかで、波の音も海鳥の鳴声もなく静まりかえっていましたが、目を疑ったのは、打ち捨てられた小舟、朽ちかけた番屋、そして人影もなく、漁の匂いもしない、荒涼とした海岸でした。
「飢餓海峡」が週刊朝日に連載されたのは1962年ですから、その翌年に下北半島を旅したことになります。
週刊朝日はその頃、購読していましたが、大間崎は犬飼が北海道から津軽海峡を渡り、本土へ逃亡の一歩とした海岸であることを、その時私は知っていたかどうかは忘れましたが、ただ写真と記憶の中の大間崎は、犬飼にとって実に好都合の海岸であったことは断言できるでしょう。
【優秀賞】 前田佐久雄(福井県)
■水上勉作品: 「桜守」(新潮社)
■撮影場所: 福井市足羽1丁目安養寺
■撮影日時: 2012年4月16日
■水上作品との関連:
「桜守」の北弥吉は、桜を育て、守ること一筋の植木職人であった。48歳の若さで亡くなり、遺言どおり、海津の共同墓地の樹齢三百年を経た彼岸桜の根元に骨箱が埋められた。
■コメント:
水上先生は「桜守」の北弥吉に、自分の父で大工職人であった水上覚治を重ね合わせておられた。また、年譜によると、昭和19年の冬、最初の妻敏子とのあいだに生れた女児淳子が生誕まもなく死亡している。桜の根方に埋められた北弥吉の骨箱と、桜の前にまつられた地蔵に、薄命の女児の霊をこの写真から感じている。水上作品の底に流れる無常観を味わっています。
【町長賞】 野村武(滋賀県)
■水上勉作品: 「ブンナよ木からおりてこい」(新潮文庫)
■撮影場所: 若州一滴文庫
■撮影日時: 2011年11月13日15:30ごろ
■水上作品との関連:
「ブンナ~、どこへいったの・・・・・・」
ブンナを追って木に登ったアマガエルのハンナは、空に向かってつぶやいた。
■コメント:
一滴文庫は何度訪れても、こころのやすらぎが得られる、素朴で居心地の良いところです。
晩秋の庭を散策中に発見し、思わず撮った写真です。
紅葉した柿の葉に、みどりのアマガエルがチョコンと乗っかっている姿は、とても印象的でした。
少し物悲しそうにも見え、「ブンナを探しているのだ」と錯覚するほど水上勉ワールドに浸った一日でした。
【ファン賞】 渡辺剛(京都府)
■水上勉作品: 「若狭」(河出書房新社)
■撮影場所: 本郷
■撮影日時: 2011年9月16日
■水上作品との関連:
若狭本郷岡田附近からの佐分利川の朝焼け。河川改修などにより、今はおだやかな流れへと変り、かつて文左の所持した「得意場表」に載っていたと思われる淵など見当らなくなったが、佐分利川に映る朝焼けは当時の「赤川騒動」を連想させます。
■コメント:
先生も、子供の頃には魚とりや川遊びに親しまれ、その記憶が鮮明に残っていたと思われる佐分利川。以前よりも数は減ったものの、春には「いさざ」、夏には「鮎」の姿が見られます。たまに漁をしている人を見かけますが、大人達ばかり。真黒に日焼けし網とバケツを持った子供達に出会いたいものです。
【入選】 石津義雄(福岡県)
■水上勉作品: 「木綿恋い記(ゆうごいき)」(文藝春秋)
■撮影場所: 大分県由布市南由布駅近く
■撮影日時: 2012年8月8日07:27
■水上作品との関連:
「湯布院駅前でバスはとまった。由布は、三十分ほど待って、大分行きの上り列車にのった。車がうごき出す頃、由布は窓から由布岳を見た。汽車から見る山は、また、別の眺めだ。山の向こう側に母がいる。由布は早く、湯平へ帰って、川石つなにひまをもらおうと思った。隅の座席にいると、寄ってきた女がいた。気がつかなかったが、むかし寺本屋にいた妓だった」
由布は母が住む塚原に戻り、東京に出る決心を伝え実行に移すとき。
■コメント:
「木綿恋い記」は、大分県別府温泉の西側に聳える由布岳を取り巻く温泉の街、別府、湯布院、湯平、そして、主人公柿本由布が生まれた塚原地区を中心に繰り広げられる物語です。
67年前、日本が敗戦から復興を合言葉に焼け跡から立ち上がろうとしていた5年後の6月に朝鮮戦争が勃発しました。ここには日出生台という戦前からの実弾演習場があったのですが、湯布院周辺で、朝鮮戦争に出撃する連合軍2万人以上が、4ヶ月訓練を受けて戦場に送り込まれたという歴史的事実を水上先生はこの場で目にされて、戦争、終戦、進駐軍、飢餓、貧困、朝鮮戦争、連合軍、MP、慰安婦、パンパン、オンリー、売春婦、売春禁止法など、今では死語に近い言葉で当時の状況を生々しく表現されております。
由布が東京に出る時、カバンの中に医師草本大悟からもらったペニシリンを持っていたなどという状況など、私はこの本を読み、まさに歴史書を紐解く感じでした。
【入選】 氏家宗雄(福井県)
■水上勉作品: 「若狭(日本の風景を歩く)」(河出書房新社)
■撮影場所: おおい町広岡
■撮影日時: 2012年4月12日08:53
■水上作品との関連:
町内に流れる佐分利川
■コメント:
現在の佐分利川で鮎を見ることが全然ありませんが、50年前には川のふちから鮎が群れをなして泳いでいるのが見えたものです。
今では草木で魚の姿は見ることができません。
鮎の捕え方は、私の中学校時代にまさしく同様で、なつかしい思い出となっています。県道には桜並木がつづいており、すばらしいふるさとです!
【入選】 門野和子(福井県)
■水上勉作品: 「金閣炎上」(新潮社)
■撮影場所: 舞鶴市成生の港
■撮影日時: 2011年7月10日
■水上作品との関連:
「堤防は北山の端から、成生の浜の中央部に突き出ている。今の漁業組合作業場の前から五十メートルほど先へ出たつき当りで、自然石の大きなのが三つころがって足台になっていた」と文中にあり、養賢が広一と赤土団子をもって釣りに出た、そんな港を写してみた。
■コメント:
釣竿を持つ養賢は広一を誘って久しぶりに浜へ出て釣糸を垂れた。父の葬式もすませた養賢は、冬休み中、友の広一との釣りを楽しみ、安岡で習ったのか、冬場の魚釣りを広一に教えるのだった。
幼友達との数時間の語らいを成生を離れる思い出にしたかったのかもしれない。
その後京へと旅立つのであった。急勾配な土地に22軒の家が所狭しと建ち並ぶ成生……。ここは数年毎に豊漁となるブリの漁場だった。
【入選】 門野進(福井県)
■水上勉作品: 「湖笛」(人物往来社)
■撮影場所: 神宮寺
■撮影日時: 2011年11月25日
■水上作品との関連:
「近江の若狭境から、今津の浜へ、山峡を南へいそぐ二人の供侍をつれた騎馬の武士がいる。天正十年七月十七日の真昼である」で始まる「湖笛」。三名の運命を暗示した書き出しだ。若狭守護職の帰りを待つ、神宮寺境内に住む竜子親子。そんな神宮寺の参道をとってみた。
■コメント:
馬を走らせ急ぐ武田元明と家臣達は近江海津の宝憧院へ呼び出された。本能寺の変で「明智光秀に加担した」との理由でその場で切腹させられた・・・・・。呼び出しをそれとなく気がついていたのか、妻の竜子の元へいち早く帰り来る家臣のひとり。事すでに遅し、竜子は神宮寺より拉致され、豊臣秀吉の妾となり、我子と別れ別れとなる。そんな悲しい歴史の残る神宮寺。境内の多くの塔頭は今は屋敷跡が残るのみ。そんな秋の日、木々は秋色に染まる本日、静かな時が流れていた。
【入選】 桜井雅子(京都府)
■水上勉作品: 「出町の柳」(文春文庫)
■撮影場所: 京都 賀茂大橋
■撮影日時: 2012月9日7日11:12
■水上作品との関連:
「すぐに賀茂川がのぞいてきて、橋が架っていた。出町橋である。正面に三角州がのびてきて、柳と松のまぜて植えた公園がひろがって見えた。橋をわたると、すぐまた橋があって、それが河合橋だった」
■コメント:
出町柳の賀茂大橋から見た風景は、「かつ江と菅井が待ち合わせてタクシーに乗った」まさに小説の舞台である。
ここから西へ15分ほど歩いていくと、水上勉が10歳で小僧に出された相国寺塔頭瑞春院がある。つらい修行に寺を抜け出した水上少年が、おそらくは北山の向こうにある故郷若狭を想い、母を恋うて佇んだであろう鴨川のほとり。そんな思いをめぐらせながら、園児たちの水遊びを見ていた。
【入選】 猿橋麻生(福井県)
■水上勉作品: 「五番町夕霧楼」(文藝春秋新社)
■撮影場所: 京都府与謝郡伊根町新井
■撮影日時: 2012年8月1日12:30
■水上作品との関連:
「浜の上から急勾配になってせり上る段々畑があり、樽泊の村は、その斜面に貝殻がこぼれ落ちたように、とびとびに藁屋根やトタン屋根をみせていた。その村の一だん高い山のはなに、灰いろのそり棟の屋根に見える浄昌寺の本堂が、常緑樹の梢の合いまに、桃いろの百日紅の花のかたまりをのぞかせてかすんでみえる」――ついに見つけた。わが心の「樽泊」。
■コメント:
「夕さん、80回目の夏だね。さるすべりの花が咲きだしたよ」とつぶやきながら、三脚を立てる。丹後半島、
よ
さ
の
ご
ー
り
、新井(にいい)。葛原の向こうは棚田、集落山頂に玉林寺が見える。~『五番町夕霧楼』、この悲しく美しい物語に救いがあるのなら、それは二人が遊んだ浄昌寺のさるすべりであろうか。誰にも理解されない少年の苦しみを、少女はその花影に受けとめていた。~村から夏休みの子供達の歓声が海風にのってやって来る。どの子にも 涼しく風の 吹く日かな(飯田龍太)
あの声の主は、夕子と正順ではあるまいか。風はいつも平等である。
【入選】 猿橋純(福井県)
■水上勉作品: 「越前竹人形」(中央公論社)
■撮影場所: 京都 地蔵院
■撮影日時: 2012年2月28日
■水上作品との関連:
「鮫島はこのような美しい藪に入ったことはなかった。葉一枚落ちていない地面には、みどりのうす苔が生えている。まるで絨毯でも敷きつめたようであった」と喜助に案内された鮫島が見た藪のイメージと京都の寺のしっかりと手入れされた竹藪が重なりました。
■コメント:
うす暗く陰気だった竹神の藪にパァーッと太陽の光がさしこむように、暗く淀んでいた喜助の心を玉枝という存在が温かく照らしだした心情をイメージし、撮影しました。
【入選】 沢田日出高(福井県)
■水上勉作品: 「折々の散歩道」(小学館)
■撮影場所: 今宮神社近郊
■撮影日時: 2012年7月17日
■水上作品との関連:
・今宮神社近郊
・「折々の散歩道」、小題「今宮のあぶり餅」
■コメント:
昭和の初め、水上先生般若林中学に在学の頃、ひと皿5本のあぶり餅、5銭でよく食べていたと聞いている。無性にそのあぶり餅が食べたくなった。友人を誘い現地に到着してみると、平日だからなのか、人通りもなく閑散としていた。しばらくたたずんでいると、少年の水上先生がスーッと笑いながら走り去ったような気になった。同じ空間にいた事があるんだなあと感じた。今は10本500円のあぶり餅。先生が感じた気分の良い散財を楽しむ事が出来た。
【入選】 四方英一(福井県)
■水上勉作品: 「道の花」(新潮社)
■撮影場所: おおい町大島河村 宝楽寺
■撮影日時: 2012年8月22日
■水上作品との関連:
胸の陽だまりを絶やすことなく土に生きる喜びを求めたお民は「『連理のさるすべりの木を見て帰ってくださいまし』と」「常楽寺の本堂へ詣って帰ろうという私に言ったものだ」(水上勉)。この作品を読み、大島の歴史と近年の変遷(原発)を想いながらそのようなお寺を探してみた。かつてあったかもしれない「連理の木」を空想したのでした。
■コメント:
大正7年、舞鶴市成生から大島に嫁いだお民、極貧に喘ぎつつも若狭の辺境を極楽の地といい、生涯島を出なかった。薬草園を開墾、栽培に喜びを求め土と生きた女の物語。水上作品を読む同郷読者として、作中の土地(地理)・人・世相・風景などに引き込まれる楽しみがある。必ずその地に出かけてみたくなる。今作品の登場人物はすべて空想とあとがきにあったが、そうとは思いたくないほどの強い読後感があり、大島へ足を向けたのでした。
原発誘致にまつわる大島の世相が水上さんの視点で書かれている。
【入選】 千秋清治(福井県)
■水上勉作品: 「はなれ瞽女おりん」(表現社・東宝DVD)
■撮影場所: 加賀市大聖寺町菅生石部神社
■撮影日時: 2012年2月10日
■水上作品との関連:
はなれ瞽女になってから、旅を共にして恋情を抱いた脱走兵鶴川の生れ故郷の神社に伝わる竹割神事の一部です。
■コメント:
おりんと脱走兵鶴川と善光寺より旅をしている途中で殺人をおこしてしまったが、母親は息子の幸を、大聖寺でゲタ屋を営みながら、この神社でお祈りをしていたと思います。
【入選】 田歌道子(福井県)
■水上勉作品: 「城」(中央公論社)
■撮影場所: 若狭町日笠
■撮影日時: 2012年7月
■水上作品との関連:
関が原の合戦で若狭領主となった京極高次は、小浜に新しく城を築いたが、その費用捻出のため年貢の増大を計った。
特に大豆に対しては、いままでの四斗入り一俵から五斗入り一俵に増大。その工事負役と大増税に若狭の民は悲鳴を上げた。
その声に若狭の庄屋たちは結束。年貢の減免を嘆願しつづけたが、京極、続いての酒井藩の圧力により結束は切りくずされ、最後に残った新道村の若き庄屋松木荘左衛門(長操)は減免と引き替えに藩主に盾つく者としてこの地日笠磧で磔に処せられた。
■コメント:
若狭では豆明神として敬われている。また彼を祀る松木神社も建立されている。処刑場跡地に建つ顕彰碑。
【入選】 藤塚有紀(石川県)
■水上勉作品: 「雁の寺」(文藝春秋新社)
■撮影場所: 福井県小浜市
■撮影日時: 2011年5月28日
■水上作品との関連:
「堀之内慈念が、底倉の部落から姿を消したのは、昭和十一年十月二十九日の夜のことである。慈念がどこへ去ったか、慈念がいつ村を出たかを知るものはなかった」(続篇の「雁の村」より)
人知れず去っていく慈念のようすがこのようであったかと思いながら、この写真を選びました。
■コメント:
生いたちの複雑な慈念はその外見の風貌と身の上により、人とうまくとけこめず一人ぼっちであった。女体に目ざめさせられ大罪を犯し、放浪し、最後には母親と関係をもってしまう慈念。女性への憎しみと憧憬の入り交じった心の闇は、自ら孤独を求め、また放浪しなければならない人生であるのだろうか。この写真の足跡に誰も人は理解できぬ慈念の人生の一歩一歩の重みが現れているように思われ、選びました。
【入選】 牧野てる子(福井県)
■水上勉作品: 「湖笛」(ごま書房)
■撮影場所: 滋賀県琵琶湖
■撮影日時: 2011年11月20日
■水上作品との関連:
この本の中にところどころに出てくる琵琶湖の状景描写の一環にもなっている。
■コメント:
今しも杉木立が割れて、扇子を半ばすぼめたような視界がひらけている。前方に白い空がみえる。いや、空ではなかった。空の色と見まがうばかりの湖がのぞいているのだったと、そのほかにも琵琶湖の表情がいろいろな言葉で表現されていると思われます。
【入選】 三浦三博(福井県)
■水上勉作品: 「はなれ瞽女おりん」(新潮社)
■撮影場所: 三方町三方
■撮影日時: 午前11時ごろ
■水上作品との関連:
三方の片手観音堂(三方石観世音)におりんは着いた。この堂の観音像は、弘法大師一夜の作像と伝えられ、片手しかないので、この世の障害のある人たちが参拝に訪れるのである。
参拝者はギプス、松葉杖、人型、しゃもじ、杖など、色々なものを観音堂のそばにある御堂へ収めて願いごとが叶うように祈るのである。
■コメント:
おりんは瞽女の掟を破り、逃避行をし三方の石観世音堂にやってきた。山中にある御堂には石観音が祀られている。すぐそばには障害がある人たちの身に着けていた物が収めてある御堂がある。
石段を登る途中にあった赤い帽子に赤い衣を着けた六地蔵が眼に止まった。
【入選】 森瀬一馬(福井県)
■水上勉作品: 「佐渡の埋もれ火」(中央公論社)
■撮影場所: 佐渡市願 賽の河原
■撮影日時: 2011年9月13日
■水上作品との関連:
おせきは、娘あやを佐渡に残し、越後高田で瞽女の修業をして、長い年月を経て佐渡に戻るが、あやは労咳で亡くなった事を知り、あやの生き様を人伝に聞き、悲しみを背負い、桐川、七浦、外海府へと物乞いの旅に出る。その外海府の先、願の賽の河原に立ち寄り、娘あやを思い、石を積んでいる姿が浮かばれて仕方がない場所でした。
■コメント:
子を思う親の心は何十年経っても変るものではありません。何故なら子は生れてから親の年齢差は縮めることはできないからです。いくつになっても生れた時のままの年の差なのです。故に愛しいものなのです。
佐渡を訪れて、この賽の河原でいくつもの人生ドラマを見たようで、洞窟の奥から見える情景を、地蔵菩薩を入れて切り取ってみました。
【入選】 山﨑眞千男(京都府)
■水上勉作品: 「金閣炎上」(新潮社)
■撮影場所: 京都市(金閣寺)
■撮影日時: 1998年8月31日
■水上作品との関連:
「金閣炎上」の物語の舞台金閣寺をどう表現するか? 物語のイメージに合う写真とは・・・・・・?
数年前に撮った金閣寺の写真を見て、これだと感じた。裏から撮った事で物語のイメージと時代に近づけたと思う。
■コメント:
京都在住の私は数ある水上作品の中から「金閣炎上」をテーマにした。
他にも京都の出てくる作品はあるが、誰もが知っている金閣寺に決めました。
美しさの裏に秘められた歴史や出来事・・・・・・・。
それを一枚の写真に込める事が出来たかどうか?
これからも水上作品をテーマに取り組みたい。
【入選】 吉野耕司(京都府)
■水上勉作品: 「飢餓海峡」(朝日新聞社)
■撮影場所: 京都府舞鶴市小橋・三浜海岸
■撮影日時: 2008年8月13日14:58ごろ
■水上作品との関連:
過去を隠して舞鶴で名士となった男と、恩人と信じて礼を述べるため舞鶴にやって来た女性の間で、悲劇が起こる。女性の水死体が舞鶴市の若狭湾のアンジャ島で見つかる。十年前、津軽海峡の青函連絡船転覆で最後まで残った二人の身元不明遺体とアンジャ島の水死体。これを結びつける犯人が樽見京一郎こと犬飼多吉による殺人事件と判明。犬飼と杉戸八重は飢餓に苦しむ共通項が過去にある。この二人には決して一緒に渡ることのできない運命の海峡が横たわっていた。
■コメント:
杉戸八重の漂流遺体は舞鶴市の若狭湾の無人島「アンジャ島」にあった。今は二つの漁村と防波堤で陸続きである。島の由来は昔、不治の病で隔離された漁村の娘が兄に「あにさん」助けてと叫び続ける声が潮騒で「アンジャ」と響き、この名前がついた。この娘と隣接する漁村の若者との恋が成就しなかった悲恋の島である。水上文学では、己の保身のため知らない土地で成金になり、名士の仮面をかぶる男に鉄槌を下し、生い立ちから不幸な環境に置かれた女性には助けの手を差し伸べる。人間の心情を追及するこだわり方は、水上勉が社会派の推理小説の第一人者たる所以である。『五番町夕霧楼』の「夕子」の優しさは、『飢餓海峡』の「八重」にも通じる心の描写。まさに水上文学の真骨頂で、決して歴史から消えることのない金字塔の小説である。
【入選】 渡辺俊策(福井県)
■水上勉作品: 「白蛇抄」(集英社)
■撮影場所: おおい町名田庄納田終
■撮影日時: 2012年7月31日
■水上作品との関連:
人生に絶望したうた女が自殺を図った滝である。名もなく生き、人知れず死んでいく社会の底辺にたたずむ人間の心の深奥を描いた、水上文学の中でも出色である。
■コメント:
この作品は映画化され、監督は福井出身の伊藤俊也であり、主演の小柳ルミ子は妖艶で、迫真の熱演であった。