【最優秀賞】 北村奈都美(京都府)
■水上勉作品: 「地の乳房」(福武書店)
■撮影場所: 舞鶴市田中町御霊神社
■撮影日時: 2011年4月20日
■水上作品との関連:
「愛は、その椿の中の一本に、祖母が生まれかわっていると思った。そうして、冬が来て雪がつもる頃に、ひとしれず、祖母は雪の中で、花になって咲くのだと思った」
私も椿は花の中でも最も好きな花のひとつです。
■コメント:
エッセイ集「木の聲草の聲」の本の中にも「椿の林で、いつも冬には五弁の花が咲いた。死んだ人を埋める土地に生えた椿だから、(略)故郷の土になりたいな、とふと思ったりする。土も冷たいけれど、何かそこで咲く草か椿に生れかわる自分を思うと温かい気分になる」。
ふっと訪れた神社に沢山の椿が咲き、無数の椿が土の上になおも美しく咲いていた。
頭のどこかに残っていた水上文学――。
感動し、思わずシャッターを切りました。
【優秀賞】 岡西重治(滋賀県)
■水上勉作品: 「高瀬川・春」(新潮文庫「醍醐の櫻」所収)
■撮影場所: 京都市「八文字屋」
■撮影日時: 2011年5月
■水上作品との関連:
「六文銭は、木屋町四条を少し下った地点のビルの三階にある。おかしな店で、主人も早くから酔っぱらって、せまいキッチン付きのカウンターには、女性客が入っているか、アルバイトの女子学生がいるかで、勘定も誰が計算して、誰がうけとるのかよくわからない。店内は至極ちらかっていて、汚れが目立ってそこらじゅうが汚い」
■コメント:
「六文銭」のモデルとなった呑み屋は、木屋町四条を少し下がるのではなく、少し上がった地点に現存する店で「八文字屋」という店です。カウンター内に女性客が入っているのですが、彼女は元八文字屋アルバイトの女子学生の内のひとりです。客が混んで人手が足りなくなると、居合せた、勝手知ったる元バイトの客が、店主の混乱ぶりを見かねて、手伝ってくれるのです。水上勉もこのような光景を見ていたのだと思います。
【優秀賞】 本合達雄(京都府)
■水上勉作品: 「金閣炎上」(新潮社)
■撮影場所: 京都府舞鶴市成生
■撮影日時: 2011年8月3日19:09
■水上作品との関連:
「成生部落は、わずか二十二戸しかなかった。(略)二十二戸の家は、落ち込んだ磯から、山へ向ってすぼまるふうにひしめき建っていた。どの家も似たような瓦ぶきの入母屋で、たまに小舎をもつ家もあるが、殆ど二階で蚕を飼い、下を座敷と居間と土間にしている。せまいから、軒がひっつくほど接近し、どの家も庭はもたず、道路は軒下の三尺幅ぐらいしかなく、雨がふるとここは川になった。(略)磯には舟小屋がならんでいた。わずかな砂地と、くり石の浜が弓状にひろがって、中央部に短かい桟橋があった」
ご覧の写真、左に桟橋がある。車庫代りに使われているのが舟小屋の名残りであろう。狭く「軒がひっつくほど接近し」、「山に向ってすぼまるようにひしめき建って」いるのである。中央に「三尺幅」ぐらしかない道が山に向って続いている。数分で西徳寺に着いた。林養賢が生まれ育った寺。感慨深く手を合わせた。
■コメント:
「五番町夕霧楼」が夕子を悲劇の主人公とした小説とするならば、「金閣炎上」は林養賢という悲劇の主人公を中心にしたドキュメンタリーであろう。従って、すべてが間違いのない事実、又は事実の描写であることを、写真を撮りながらひしと実感した。成生の景色は書いてあるとおりの光景が目の前にあった。逆に上ってきた写真を見て、書いてあった文章が頭に浮んだ。
水上先生の作品は、心にずっしりと感じられる重さがある。「金閣炎上」では、金閣という表舞台と成生という裏舞台がある。この裏舞台の重さをどのように撮るべきか考えた。曇りの日、雨の日といろいろ試みたが、結局、暮れなずむ夕景を選んだ。
西徳寺に上る道を真中に入れ、大きな舟小屋と桟橋を左に入れた。そして「軒がひっつくほど」の家々を右に、手前に街灯が映し出された海と舟、後方に暗くなった山を入れた。先生の成生の風景描写の重さが、この夕景の中に多少でも表すことができれば、本当に幸せである。
【町長賞】 渡辺剛(京都府)
■水上勉作品: 「若狭」(河出書房新社)
■撮影場所: 高浜町和田
■撮影日時: 2010年7月
■水上作品との関連:
和田海岸より望む青葉山。望郷の山として多くの作品に登場します。
■コメント:
原発の送電線以外は当時と変わらぬように見える風景。自転車で浅瀬を駆ける少年には、きっと「黄金の思い出」として残されることでしょう。
【ファン賞】 石津義雄(福岡県)
■水上勉作品: 「海の牙」(双葉社)
■撮影場所: 熊本県水俣市
■撮影日時: 2011年7月8日19:34
■水上作品との関連:
「水潟市から北へほぼ四キロほど入ったところに湯王寺温泉があった。戸数四十戸ほどしかない猟師部落だが、海べりに都会風な旅館が十軒ほど建っている。この温泉は明礬泉である。(略)入りくんだ湾口には島もあり、風光はよかった」
(ホテルから先生も眺められたであろう八代海(不知火海)のちりめん皺の海や、夕焼けに染まる海を、夢中でシャッターを押しました)
■コメント:
若州一滴文庫で冬場作業をさせていただいた後に北御牧に先生をお訪ねする機会が何度もありました。その度に、水俣病や、原子力発電所のことを話して下さいましたが、九州に住んでいながら水俣に行ったこともありませんでした。もっと早く水俣病資料館を訪れて語り部の話を聞いていれば、先生の言葉がより深く心にひびいたことだろうと思いました。
「海の牙」の執筆に当たり、湯の児温泉に15日間も滞在し、取材されたことを読み、写真展を機に私も本を手に水俣市を歩き、湯の児温泉に泊まりました。原本では湯王寺温泉として取材拠点とされた所だと思います。
【入選】 浅見信夫(愛知県)
■水上勉作品: 「京都遍歴」(立風書房)
■撮影場所: 京都嵯峨鳥居本
■撮影日時: 2010年11月20日午前9時30分ごろ
■水上作品との関連:
「いってみれば、鳥居本は、私には、在所へ向かう徒歩道のとば口だという思いがつよくて、いまでも、平野屋へゆくと、この十二歳の時の凍えた望郷の一日がよみがえる。(略)つまり、鳥居本にいると、背中に愛宕山が迫り、その向こうに、若狭がつながっていた」(「嵯峨鳥居本界隈」)
■コメント:
茅葺き民家の写真旅をするようになって、10年ほど経ちます。奥嵯峨野には、今でも何軒かの茅葺き民家が残されています。ドライブウェイの入口近くの橋の上から、愛宕山を望み、鳥居が見える参道沿いの民家を撮影することは私にとって至福の時といえます。平野屋辺りで三脚を立てると、ここからつらい思いをされ、若狭に向かわれた水上先生のことを思い起こします。今度出かけたときには、平野屋の横の塀に沿って入る杣道を通って、柚の里・水尾まで歩いてみたいと思っています。
【入選】 稲本洋子(京都府)
■水上勉作品: 「金閣炎上」(新潮社)
■撮影場所: 京都府舞鶴市田井
■撮影日時: 2011年8月30日
■水上作品との関連:
執筆の取材のため、大浦半島の最端の成生に向かう手前にある田井という漁村にある海臨寺というお寺。
立派な山門と僧堂があり、日本海を望みます。
水上氏はこの寺と和尚について随筆にも書かれています。
■コメント:
成生に向かう道中で、水上氏は金閣寺に火をつけた主人公の孤独な魂と語らっていたのではないか、そして、その手前にある小さな漁村に建つ堂々たる海臨寺を見て、その昔、この地に来て開山した和尚の強いエネルギーを感じたのではないかと思いました。
若州一滴文庫の一滴とは、儀山善来禅師の言葉からつけられたそうですが、私が水上氏から感じたのは、頭を上げてごうまんになるな、足元を見よ、地球上の片隅に生かされている小さな存在であるという謙虚さを忘れるなということです。私にとって一滴文庫は水上氏の建てられた、形を変えたお寺のように思います。
【入選】 門野和子(福井県)
■水上勉作品: 「湖の琴」(中央公論社 水上勉全集7)
■撮影場所: 滋賀県余呉町
■撮影日時: 2011年6月28日
■水上作品との関連:
「余呉の湖は、暗く沈んでいて私の好みに合った」と作品中に書いている作者は湖北一帯の風土が好きだった。この「湖の琴」は湖北の独特の風土が「さく」と「宇吉」の心を結んでいたのかもしれないが……。二人の怪しげな心の移ろいがそのまま余呉湖へといざなっている。
■コメント:
働く日々の中で「さく」と「宇吉」の心はそれとなくお互いに見えない糸で結ばれていたのだったが……。京から帰った「さく」の動揺を「宇吉」はいち早く感じとっていたのだったが、それをどうすることも出きなかった。冷たくなった「さく」を抱いて余呉湖に共に身を沈めた。二人をのみ込んだ余呉湖の湖面はおだやかに波ひとつなかった。夏の日ざしが賤ヶ岳の背に当り不気味な色をかもし出していた。
そんな余呉湖をそして賤ヶ岳を作者同様にいつまでも眺めていた。
【入選】 門野直人(福井県)
■水上勉作品: 「故郷」(集英社文庫)
■撮影場所: 若狭町世久見(若狭湾ごしに丹後半島を望む)
■撮影日時: 2010年8月6日夕刻
■水上作品との関連:
複雑に入江をなし、日本有数のリアス海岸の手に抱かれる若狭の海。
地形独特の風は海の表面にちりめんじわのようなさざ波をたて、日本海の光と色も美しく織りなしている。――海辺の過疎の村。ずっと住んできたもの、出ていったきりのもの、やってきたもの、戻ってきたもの。押し戻す事のできない時代の波――。
様々な人物の心象がこの海にちりばめられているような気がした。
■コメント:
20年近い都会暮らしを終え、2年前に若狭の実家へ戻ってきた私が、はじめて読んだ水上作品が「故郷」だった。読み終えてからずっと貼りついている「ちりめんじわの海」。この光のひだに自分も織り込まれてしまったのだろうか。
山村育ちの私には、この穏やかな表情の海が向いているのかもしれない。そこにはただ、静かな風が吹いている。
【入選】 河内フジ子(大阪府)
■水上勉作品: 「若狭海辺だより」(文化出版局)
■撮影場所: 高浜町高野分教場付近
■撮影日時: 7月23日午後
■水上作品との関連:
水上先生が昭和19年から20年の敗戦の年まで教員をつとめた場所、青の郷から分教場までのゆっくりした坂道を登り、すこし手前に大きな1本の木がありました。多分、先生もこの木を右手に見ながら通っておられたと思いながらシャッターを切りました。
■コメント:
あまりにも見事な大木に驚き、暑さも忘れて見上げました。ちょうど村の人に出会い、木の名前をお聞きすると、「タモの木」だと教えていただきました。また偶然にも水上先生に1年の1学期だけ教わったとのことです。先生が坂を登ってくるとき、この木の前で待っていて一緒に分教場まで歩くのが楽しみだったと木を見上げながらたかせさんは話してくれました。
【入選】 佐竹善雄(兵庫県)
■水上勉作品: 「凩」(新潮社)
■撮影場所: 京都府宮津市金屋谷
■撮影日時: 2011年8月16日(火)
■水上作品との関連:
宮大工倉持清右衛門は、建てたり修理した寺は京都府下、滋賀県下、遠くは奈良まで50を超すという。寺院がたくさんある宮津の高台に丹精して建立した国聖寺の薬師堂はある。今なお、高台から眺めると宮津湾やショッピングセンターを望むことができる。
■コメント:
この国聖寺のすぐ隣に、経王寺、妙照寺、佛性寺などなどがあり、まさに寺町。宮大工清右衛門は晩年自分が手塩にかけた寺院を訪ねて歩き、特にこの薬師堂の建立を誇りにしていて老僧に出会い話がはずんだという。老僧は89歳で元気だったとのこと。その昔、清右衛門も丹精こめた薬師堂を眺めながら宮津湾を望んだのだろうと感慨一入でカメラに収めた。
【入選】 猿橋麻生(福井県)
■水上勉作品: 「霧と影」(新潮社)
■撮影場所: 高浜町山中
■撮影日時: 2011年8月30日午前6時30分ごろ
■水上作品との関連:
「霧と影」より音海の観音崖を山中の段々畑にはりついて撮っています。午前6時過ぎ、よい霧が出てきたのでカシャッ。「猿谷郷」は写っていますか?
■コメント:
五色浜に山桜。遠く音海は淡いブルー。その間をゆく2隻のサヨリ船。船……文句なく美しい。でも冬の越前海岸、傾いたホフマン窯、そしてこの観音崖……。風景だって切なくてかまわない。彼も我も若狭人!
【入選】 関貴見子(福井県)
■水上勉作品: 故郷に触れたエッセイなど(出版社名は申し訳ありません、わかりません)
■撮影場所: 越前市福井鉄道北府駅(旧西武生)
■撮影日時: 2011年8月24日9:00a.m.
■水上作品との関連:
故郷、生いたちの記、エッセイなどの中で出てくる若狭の田舎の駅。先生を見送るお母様は、深々と頭を下げられる。貧しさゆえに8才にて京都に出した母の詫びる姿である。
■コメント:
先生の作品には常に愛する若狭の故里があり、田舎の駅があり、そこに立つ母の姿があり、岡田の三枚谷の泥の田に胸まで浸かる若き日の母親の姿があり、愛おしいまなざしでながめておえられる。大正時代からのこの駅に私は先生のおだやかなやさしい文章に涙する。故里の駅と題したけれど、田舎の駅かも知れぬ。
【入選】 千秋清治(福井県)
■水上勉作品: 「霧と影」(中央公論社)
■撮影場所: 福井県高浜町
■撮影日時: 2011年7月27日
■水上作品との関連:
若狭の海岸で起きた小学校教師の墜落死事件のなぞをとく青峨山(青葉山)と若狭湾です。
■コメント:
若狭海岸のどこから眺めても美しい山(若狭富士)ですが、死火山で原始林が密生している所なので、事件の解決のポイントとなったのかと思い、写しました。
【入選】 福本人司(福井県)
■水上勉作品: 「山の暮れに」(集英社文庫)
■撮影場所: おおい町川上
■撮影日時: 2002年2月夕方
■水上作品との関連:
「雪虫が舞いはじめた。空の奥から、湧くみたいに、杉林のてっぺんから降ってくる。(略)とても虫だとは思えない。風花が舞うみたいだった」
■コメント:
20年前のあるとき、病院のベッドで水上勉の本を初めて読みました。「山の暮れに」でありました。2年後、おおい町川上に一軒の茅葺民家を借りて画家のまねごとを始めました。周囲の方々に支えられながら、ここまで来て、フッと振り返ると、善太郎さん、黒井カズコさん、そして弥助さんもいました。雪虫を見たその冬、アトリエや廻りの田んぼがまっ白できれいでした。
【入選】 藤木文子(福井県)
■水上勉作品: 「越前一乗谷石仏」(鹿島出版会)
■撮影場所: 安波賀中島町
■撮影日時: 2011年8月1日
■水上作品との関連:
石仏群のほとんどは、町民、農民の歩いた道ばたというよりは武家の菩提寺、館跡と思われる山裾、台地、道路、参道にあり、武士が信仰した地蔵の群れと思われる。
■コメント:
仏の相は円満柔和で頬の削げた凄まじい風貌に通じるものは一体もない。目をむいた仁王の怪異な容貌にさえも一種の安堵を感じる。未来の平和繁栄を信じながら散っていったのであろうか。年に何度か訪れるこの地、いつも感じるのは、日々忙しさにおわれ何かを見失ってしまいそうになる自分に気づかされるのです。石仏の笑みを見ながら、この先どう生きたら私らしいのだろうと思うのです。
【入選】 藤木正昭(福井県)
■水上勉作品: 「弥陀の舞」(朝日新聞社)
■撮影場所: 越前市新在家
■撮影日時: 2011年8月1日
■水上作品との関連:
五箇(不老、岩本、大滝、定友、新在家)の紙漉き村で、紙漉きは男よりも女の仕事だった。厳冬の冷水に二の腕までひたらせて塵をとったり簀桁を振って漉くのはみな女であった。
■コメント:
くみの生涯は紙漉きや子育てなど、大変な苦労をして生活をしていたと思われる。写真は越前市新在家で楮のチリをとる女性を写させて頂きました。
くみの生きた明治初期、川小舎での作業は寒かったと思います。水上作品の中でのくみの生活が頭の中に残り、当時の生活ぶりが色々と考えさせられております。
【入選】 藤塚有紀(石川県)
■水上勉作品: 「白蛇抄」(集英社)
■撮影場所: 小浜三丁町
■撮影日時: 2011年5月28日朝8時ごろ
■水上作品との関連:
これは華蔵寺の承昌が京の大学を卒業したあと父懐海の勧めで入った禅宗の専門道場での修行の様子(托鉢)を小浜の三丁町を歩く発心寺さんのお坊さんで表してみました。
■コメント:
この「白蛇抄」は先に映画を見ておりましたが、本を読むとかなり内容が違っているので驚きました。「白蛇抄」は映画のイメージが強いのですが、読書で二度「白蛇抄」を楽しめました。さて、この托鉢の様子ですが、映画の承昌はうた女と離れていやいやしてるのですが、本のストーリーは普通にそのころはまじめであった感じがうかがえますので、そういう感じでとってみました。
但し、本の承昌は女ぐせの悪い人という人物設定で、私はどちらかといえば、映画のストーリーの方が好きです。
【入選】 堀川恭司(福井県)
■水上勉作品: 「在所の桜」(立風書房)
■撮影場所: 山梨県北杜市武川町山高
■撮影日時: 2010年4月4日14:30
■水上作品との関連:
山梨県北巨摩郡武川村にある“神代桜”である。神代桜は実相寺の境内にあるが、胸高周囲三十五尺、樹梢の高さ四十五尺、枝張り東西十五間南北十七間と記録されているから、化物みたいな大桜である。
■コメント:
生まれた家から見える佐分利川の桜並木から桜に対する想いが深く、いろんな桜を思い出と共にみられているのが印象に残りました。特に老桜があると寸暇を惜しんで見に出かけたという所は共感を憶えました。
日本三大桜をはじめいろんな桜を見に行きましたが、やはり日本最古の神代桜は今はかなり樹勢も回復し、見ごたえのある桜となっていました。
【入選】 前田佐久雄(福井県)
■水上勉作品: 「一乗谷地蔵のこと」(実業之日本社)
■撮影場所: 福井市西新町盛源寺
■撮影日時: 2011年6月25日
■水上作品との関連:
「一乗谷地蔵のこと」は、「一乗谷は石仏の宝庫だという。盛源寺は地蔵の道だという人もいる」で始まる。その盛源寺でも屈指の石仏は、この地蔵と不動明王である。
■コメント:
戦国の武将朝倉孝景が、一乗谷に館をたてて、越前一国を治領とした文明三年(1471年)から義景が大野で自害した天正元年(1573年)まで、五代百余年の栄枯盛衰の跡は、ほとんど残っていない。五百年後の今日、これらの地蔵群だけが、往時を偲ばせている。
【入選】 牧野良一(福井県)
■水上勉作品: 「弥陀の舞」(朝日新聞社)
■撮影場所: 福井市糸崎町(観音堂)
■撮影日時: 2011年4月18日
■水上作品との関連:
「弥陀の舞」は福井県越前市(旧今立町)の舞台であるが、福井市の糸崎町にも同じ「仏舞」があります。今年は隔年の「糸崎の仏舞」が4月18日に舞いました。その時の写真です。
■コメント:
明治初期の貧しい生活の中で僧身の善照尼が女の子を産み姿を消したが、その子はくみと名付けられ、養家で育てられ、彼女はそこで、紙漉きの仕事をしていくが、特殊な一枚漉きの檀紙など漉いていたが、色白で、大柄な娘に成長した彼女は、15歳で妊娠、主人公くみが互いに名乗り合えないまま母親に対面するシーンは感動的である。紙漉きは寒い時の水仕事であり、今の人はとても辛抱できるものではないと思う。
【入選】 山田信雄(福井県)
■水上勉作品: 「越前竹人形」(中央公論社)
■撮影場所: 福井県小浜市
■撮影日時: 2011年8月22日午後3時
■水上作品との関連:
玉枝、芦原の玉枝、喜助の心の中で大きくふくらみ、「そうや、芦原温泉へいってみよう」。喜助は玉枝の名をたよりに芦原温泉へ。町で聞いた三丁町の花見やのお玉はんを探し歩いた。
■コメント:
小説の舞台やヒロイン玉枝の住居は芦原温泉でしたが、芦原温泉は震災や大火で、それらをイメージする所はなく、また、小説の中での芦原温泉は、小浜市三丁町をイメージして書かれたとのこと。自然と小浜市三丁町を訪ね、小説のイメージや玉枝の姿を想い浮かべてしろうとの手で写真を撮りました。
【入選】 吉野耕司(京都府)
■水上勉作品: 「飢餓海峡」(朝日新聞社)
■撮影場所: 舞鶴市東市街地
■撮影日時: 2009年10月12日6:41
■水上作品との関連:
暗い戦後の世相の中での小説の代表作品といえば、松本清張の「ゼロの焦点」、水上勉の「飢餓海峡」であろう。この小説では、主人公の犬飼多吉が樽見京一郎の名で京都・舞鶴市に強奪した金を元手に食品会社を興し、暗い過去を海霧の中に封印してまちの名士として暮らし続ける。
■コメント:
犬飼多吉が樽見京一郎と名のり、事業に成功し、妻と暮らす舞鶴市。生活エリアを見て回ると、住居は市内有数の住宅街。二か所の工場は、旧日本海軍の跡地と見られる場所だ。晩秋の早朝、立ち昇る海霧のベールに包まれた多吉の人生にふさわしいと思い、海霧に沈む東舞鶴市街地と東舞鶴港を撮影した。若狭富士と呼ばれる青葉山は、多吉の人生を見通していたようだ。多吉を慕った杉戸八重、追い続けた弓坂刑事、多吉と三者三様の人間模様を飢餓が生み出す中で見事に描写されていて感銘した。