【最優秀賞】 斉藤敦子(福井県)
■水上勉作品名: 「越前竹人形」(中央公論社)
■撮影場所: 南越前町仙木俣
■撮影日時: 2010年6月6日
■水上作品との関連:
竹人形の職人である、喜助と玉枝の生活した日野川上流の南条地区竹神(仮想)。近くには、竹林の多い集落です。
■コメント:
この静かな、山合の竹林の多い、小さな集落で、喜助は妻の玉枝と竹人形を作り続けたいと思っただろうと思います。それも長く続かなかったけれども、その伝統が今の時代に引き継がれていると思いました。南条地区は、父の在所で興味もあり、懐かしくカメラに収めました。
【優秀賞】 徳久真弓(京都府)
■水上勉作品名: 「草木の声」(文化出版局)
■撮影場所: 舞鶴(東山寺)
■撮影日時: 2010年8月中旬
■水上作品との関連:
「寺の生活はきびしく、若狭の母のことばかり頭にうかべて泣きくらしたが、(中略)百日紅の下の蕗の畑へいって樹にさわった。そうして高い枝をふり仰ぐと、花がぬれてみえ、若狭の村がいつもよみがえった。(中略)旅の途上で山寺の墓地などに、遠眼に百日紅をみた時は、いつも涙ぐんでいる」
■コメント:
以前に五番町夕霧楼の人形劇を一滴文庫で見させて頂いた。最後、片桐夕子の死骸が見つかったのは、浄昌寺の裏にある墓地の一本の百日紅の根もとであった。その最後の舞台に大きな百日紅がとても印象的でした。
水上文学で終生、追い求められていた母は、百日紅で心の樹だったのでしょう。
【優秀賞】 藤木正昭(福井県)
■水上勉作品名: 「越前岬」(「越の道」河出書房新社)
■撮影場所: 越前町梨ヶ平
■撮影日時: 2009年12月25日
■水上作品との関連:
「水仙の咲いている畑は断崖の上の急斜面にあった。かろうじて、そこに土がのこっていて、岩が土の流れを喰いとめているといった部分に、水仙は根強くかたまりになって咲いていた」
■コメント:
日本の風景を歩く、水上先生の紀行分とでもいうのか歩かれた場所の情景を思い出させて頂きました。先生の作品を読んでいると、いつのまにか主人公になったような気持ちになりました(「越前竹人形」を読んで……)。これを機会に先生の作品を少しずつ読んでいきたいと思います。
【町長賞】 浅見信夫(愛知県)
■水上勉作品名: 「凩」(新潮社)
■撮影場所: 滋賀県大津市葛川居町
■撮影日時: 2010年6月27日午前8時頃
■水上作品との関連:
「五日後、清右衛門は、朽木谷の文蔵を訪ねた。(中略)安曇川は北へ御坊村をすぎて、朽木町で、ほとんど直角に折れて琵琶湖へそそいでいる」
■コメント:
「凩」に出てくる風景は、大原周辺から朽木谷が中心となっている。葛川から朽木へと、鯖街道に沿って安曇川が流れている。国道沿の集落は今も茅葺きにトタンをかぶせた民家が多い。その屋根は色とりどりで美しい。写真は安曇川と葛川の集落である。ここから「文蔵」の住む朽木谷へは北へもう少しのところである。「文蔵に手伝い大工を頼んでおきたかった」と「清右衛門」が京から朽木谷に向かうバスの中から見た風景は霧も晴れ、小春日和の山々である。
【ファン賞】 井上陽子(京都府)
■水上勉作品名: 「越前竹人形」(中央公論社)
■撮影場所: 京都市伏見区観月橋近く 宇治川
■撮影日時: 2010年8月26日17時24分
■水上作品との関連:
「向島から宇治川土堤へ出た。中書島へゆくには舟に乗るのが便がいい。(中略)玉枝は舟にのろうと決心した」「宇治の水は深い。早瀬のように流れが早い。(中略)いま、玉枝の眼にうつる流れは海のように青々と深みをましてせまってくるように思われる」
■コメント:
宇治川にかかる観月橋は、宇治に住む娘の所へ行く時に必ず渡る橋ですが、この川の流れや景色が違って見えるようになったのは、くるま椅子劇場で「越前竹人形」を観てからです。夕刻、船着き場と思われる水辺へ下りて行くと、草むらの向こうに二、三の古びた屋形船と小舟がひっそりと繋留されていました。
もしや、この辺りにはおっちゃんの渡し小舎があったのでは……と思うのに充分な光景でした。
静かに流れる宇治川は、玉枝と玉枝を救った船頭さんとの偶然の出会いを思い出させてくれました。それはどうしようもない哀しみをどっしりとした優しさで包み込む場面で、強く心に残っています。
一瞬、二人の世界に引き込まれたような時を感じました。
【入選】 足立豊子(京都府)
■水上勉作品名: 「女の森で」(サンケイ新聞社)
■撮影場所: 京都祇園
■撮影日時: 2010年5月22日
■水上作品との関連:
「女の森で」を読み、京都祇園にある置屋を撮影しました。昔ながらの格子戸から舞妓さんが今にも出て来そうな
■コメント:
京都祇園で東の廓、置屋花村を営むこりん。こりん自身も幼い頃より舞妓になり花村の女将になった。色々な事情から花街に入った5人の女性達。女の幸せを求めて自立していく姿を描いた作品。今も残る花街で守り伝えられている文化や歴史が写真に現われていればと思います。
【入選】 石津義雄(福岡県)
■水上勉作品名: 「才市」(講談社)
■撮影場所: 島根県太田市温泉津
■撮影日時: 2009年3月
■水上作品との関連:
水上勉先生が、このご本「才市」を書かれる前に、北九州遠賀川の川辺で才市が運炭船の船大工をしていた頃のことを取材に九州においでになったとき(1988年頃)、ご一緒させていただいた車の中で直接聞いた温泉津(ゆのつ)温泉のこと。
■コメント:
一度は行ってみたいと長年思っていました。今春、機会があって、JR山陰線温泉津駅に途中下車して町を歩いてみました。才市の生家・下駄職人の作業場、船大工をしていたといわれる海岸線、作品や遺品が展示してあるお寺の展示室、先生が長期滞在されて原稿を書かれた旅館街などを散策し、高台に登って町並みを撮りました。
静かな町で、家並みがうつくしゅうございました。湊は小浜(おばま)ではなく、小浜(こはま)というそうです。若狭を思い起こさせる土地名がとても懐かしさを覚え、やっと念願が叶ったという気持にさせていただきました。
【入選】 市野三郎(福井県)
■水上勉作品名: 「越前竹人形」(新潮文庫)
■撮影場所: あわら温泉べにや
■撮影日時: 2010年8月18日
■水上作品との関連:
水上勉はあわら温泉「べにや」さんに滞在していたとの噂は聞いていた。小説の構想を練るためによく来ていたと聞き、その足跡を訪ね、水上文学のうまれた雰囲気を味わいたかった。
■コメント:
あわら温泉「べにや」さんへ宿泊していたとの話を聞き水上文学を生む雰囲気を味わいたく訪問して、自筆の色紙を拝見した。
“べにや讃”という色紙をみると「越前竹人形」の舞台と書いてあり、驚いた。
今、この写真の部屋で水上文学が生まれたと思うとゾクゾクするくらい感動した。
この座席、この雰囲気、水上勉が投宿中眺めたであろう庭が眼前にあるのである。
色紙の中に「玉枝さんのような心やさしい女中さんもいて、旅情もほぐれる」とあるが、その心やさしさを生み、守る「べにや」さんの女将さんの声聞きながらお礼を言い旅館を後にした。
【入選】 上野谷絹代(福井県)
■水上勉作品名: 「湖笛」(上)(ごま書房)
■撮影場所: 福井市中央町
■撮影日時: 2010年4月
■水上作品との関連:
P102からの「北の庄」の章のP105「北の庄城は、(中略)足羽川が日野川と合流する地点から(後略)」など。
まさに歴史の舞台北の庄城があった附近の現在の福井市足羽川流域の桜並木の写真です。
■コメント:
本格的な水上勉の時代小説「湖笛」、「北の庄」の章のお市の方が夫と共に娘3人の幸せを祈りつつ自害した越前北の庄城。約430年後の足羽川の桜並木を幼子と歩く若い母親。子を思う母の心はいつの時代も同じである。
【入選】 小川英志(大阪府)
■水上勉作品名: 「才市」(講談社)
■撮影場所: 温泉津(ゆのつ)港
■撮影日時: 2008年8月13日19時頃
■水上作品との関連:
「才市の生まれた温泉津は、島根県でも、中央部といってよい。浜田と大田の中間にある海岸の小村だ。昔は邇摩郡大浜村といったが、天然の深い入江にのぞんだ港で(後略)」
■コメント:
水上勉氏は「才市」の取材でこの地を訪れた折に、温泉津港の辺りを散策している。
そのときのスナップ写真に、ある読本で出会う。渋くてダンディーであった。
才市(さいち)翁の墓碑は、私の里を東西に走る山陰線の列車からも、しかと望める。
【入選】 門野進(福井県)
■水上勉作品名: 「おもんの谷」(「旅の小説集」平凡社)
■撮影場所: おおい町石山
■撮影日時: 2010年8月17日
■水上作品との関連:
小説「おもんの谷」の全容として石山から名田庄へ越える石山峠のことであろう。作品中に書かれている谷は古来から若狭高浜から京への物資が運ばれていた京街道の難所の一つであった。山は植林が進み石山峠も今や麓には高速道路が走り更に道路工事中で大きく姿を変えつゝある。(石山峠全容 石山集落より)
■コメント:
「おもんの谷」の小説より 女行商人「おもん」が高浜で水揚げされた魚を石山谷山頂で働く伐採夫の元へ今日も索道に乗って売りに行くのであった。日を重ねる毎に伐採夫への思いを強くしていたある日のこと、索道の鉄かごから墜落死するのであった。「この索道は巨大な水車を動力として動いていたが、今はダムに沈み姿もない」と古老より聞いていた。石山街道として京へと続く道で今も多くの人々の足となり様変りするのであった。
【入選】 神野正代(京都府)
■水上勉作品名: 「しがらき物語」(新潮社)
■撮影場所: 信楽
■撮影日時: 2008年5月30日
■水上作品との関連:
陶工木崎平右衛門と弟子臼井弥八が作陶した信楽の地
■コメント:
信楽焼でもタヌキは好まれなかった水上先生の人となりを思い、当時の姿を想い浮ばされるような、落ち着いた風情のある姿が印象的で、先生の好まれる風景と思われた。
【入選】 神野恭行(京都府)
■水上勉作品名: 「はなれ瞽女おりん」(若州赤土舎)
■撮影場所: 福井県若狭 三方町(船宿)
■撮影日時: 2007年7月24日
■水上作品との関連:
おりんも、仲間はずれの「はなれ瞽女」であり ゴゼ宿に泊ることもゆるされないため地蔵堂や阿弥陀堂などをねぐらとして旅をつづけた……。若狭三方は平太郎との再会の地である。
■コメント:
三方地方を散策していたら船宿が目に入った。「はなれ瞽女」達が一夜の宿として利用したくちはてた地蔵堂・阿弥陀堂もこの様な有様だったろうかと想いをめぐらした。
【入選】 長田真(石川県)
■水上勉作品名: 「リヤカーを曳いて」(「若狭」河出書房新社)
「また、リヤカーを曳いて」(「若狭」河出書房新社)
「聞きそびれた玉音放送」(「仰臥と青空」河出書房新社)
■撮影場所: 小浜市東勢
■撮影日時: 2010年7月25日午前11時30分頃
■水上作品との関連:
「九十九折(つづらおり)になったこの赤土の道は、二つのトンネルの上を通っていて、ある高さまでくると、海へせりだした崖の上になった」
「正午頃はどこにいたかわからない。たぶん、勢坂あたりだったか。切通しの赤土の向うには紺青(こんじょう)の若狭湾が見えていた。山裾は塩をふりかけたような波がしらだった。陽は真上にあったから正午は峠にさしかかった頃だろう。海からのどかな波の音が這い上がっていた」
■コメント:
作品は、終戦の日(八月十五日)の思い出を綴ったものである。
水上氏は、その日の早朝、チフスに罹った患者を父とともに若狭本郷から小浜の病院へ搬送することになった。炎天下の中、約16㎞の道のりを病人を載せたリヤカーを曳いて……。
終戦を知ったのは、午後4時ごろ小浜駅の構内だったと書かれている。
氏はその日、玉音放送を聞くことができなかった。正午頃には、眼下に紺青の若狭湾が広がり、赤土の崖を波の音が這い上がってくる峠で休んでいたと記述されている。
その場所が、一枚の風景写真の切れ端として氏の心に残ったことが読み取れた。
そこは、何処か? 果たして若狭湾は当時と同じように見えるのだろうか?
期待を胸に、いくつかの作品を精読し、氏のその日の行動を考察し、海岸沿いを探し回った。
作品中の光景を示す語句と経過時間などから、水上氏が若狭湾を見下ろしたその場所は、旧道の「勢峠」周辺と推定したが、65年を経た現在、加斗地区の松並木や作品中の石地蔵は、確認できず、更に鬱蒼とした杉木立によって若狭湾も全く見えなかった。
しかし、峠と思しき場所で、「日本の一番長い日の歴史的時間」を、只「人事の日々の具体」を生きていただけ、と氏が書いたその日に思いを寄せ撮影した。
現在、旧道の下にトンネルをもつ国道27号線があるので、「勢峠」を訪れる人は少ない。
【入選】 早川恵子(福井県)
■水上勉作品名: 「賀茂の蜩」(「出町の柳」文藝春秋)
■撮影場所: 福井県おおい町成海
■撮影日時: 2010年8月19日
■水上作品との関連:
「そうやがな。うちがまだあの人を知らん頃の話やったけど……なんでも、心にのこる人らしゅうて……眼ェの色かがやかせてはなさはったんおぼえてる。河井先生の特選になりなさった水指しの壺の赤土の出たところよ、若狭のほら」
「大島かいな」
「そうや、そうや、そこの娘さんよ」
■コメント:
水上先生の生前、よく雑誌の写真などで「これは私の骨壺です」とご自分で焼かれた壺を紹介されていましたが、やはり土は若狭の赤土だったのでしょうか。
この物語の頃にはまだ大島に行くのは船だったのでしょうが、今は橋がかかっています。この橋を渡ったところには真珠の養殖が行われています。私なら骨壺にはこだわりませんが、骨と一緒に真珠を一個入れてほしいものです。
【入選】 藤木文子(福井県)
■水上勉作品名: 「越前竹人形」(中央公論社)
■撮影場所: 越前町六呂師
■撮影日時: 2010年8月19日
■水上作品との関連:
「日野川の支流をのぼりつめた山奥に、竹神という小さな部落があった」
「部落の家々は、(中略)竹藪にかこまれていた」
■コメント:
竹神という部落は実在しないが越前町六呂師という部落が越前竹人形の原点であったかのよう(「火の笛」~思い出したから)
六呂師の竹藪を探し写してきました。
【入選】 藤塚有紀(石川県)
■水上勉作品名: 「若狭湾の惨劇」(角川書店)
■撮影場所: 勢の浜
■撮影日時: 2010年8月19日5時頃
■水上作品との関連:
作品の冒頭に出てくる、汽車の窓から見える1分間たらずしか見えない勢の浜の岩場で、主人公は、つりをしている人を目撃する。それが糸口になり殺人事件の推理が、始まるのです。それで実在の勢の浜で、つりをしてる人を撮影してみました。
■コメント:
このコンテストの為、何冊も水上さんの本を読ませて頂きました。どの作品も興味深く、あっという間に読みましたが、中でも実在の場所のあるところをとりたいと思いましたので、「若狭湾の惨劇」を選びました。風間豪平が殺された場所、勢の浜は、岩場があり、海水浴やつりの人で夏場は賑っています。何か淋しい雰囲気を出したくて、夕日とつり人をとってみました。実は本の中に出てくるべんがらの水車を一番にとりたかったのですが、高速道路を作るときにじゃまになり、またその仕事をする人がいなくなり、とりこわしたそうで、残念でした。
【入選】 本合達雄(京都府)
■水上勉作品名: 「飢餓海峡」(新潮社)
■撮影場所: 空山中腹小橋(おばせ)・アンジャ島及び舞鶴湾口
■撮影日時: 2010年8月12日19時45分
■水上作品との関連:
(下巻第14章より)「東舞鶴から(中略)平の村から山を越え、約四キロメートルほどゆくと、コブシのような形をした半島が急にひらけてくる。外海に面した浜へ出るのだが、そこに三浜・小橋と呼ばれる数十戸のかたまった二部落があった」「この付近でアンジャ島と呼ばれる岬の鼻の小さな島へさざえ捕りのために舟を出していた」そしてこのアンジャ島で、男女の死体発見と物語は展開する。下巻第14章だけでアンジャ島又はアンジャという語が13回も出てくる。先生はこの島にどんな思いを寄せられていたのか…と私は考えた。
■コメント:
小橋の集落は、背後に田園風景、北は小高い緑の岡、そして白砂の浜、そしてその先にらくだの背のように瘤のある島(10年程前に地続きになった)―それが上記のアンジャ島である。先生は敢えてこの美しい集落とアンジャ島を凄惨で無残な殺人事件の舞台に選ばれた。私は今、「美しい」と書いたが、それは晴れ渡った空とコバルトブルーの海、そして緑したたるような美しさではない。しみじみと心に伝わってくる様な「少し暗くて哀しいような美しさ」と勝手に考えた。私はこの様なアンジャ島のイメージを撮るには俯瞰撮影で広く海を入れた方がいいと考えた。そこで遠くは丹後半島を入れ(写真上部)、小橋の集落は灯が点り、しかしまだ海は明るい。そして殺人現場のアンジャ島の存在感を高める為少々おどろおどろしい雰囲気と哀しい様な雰囲気を海の表情に求めた。その為に天候と時間を選んだ。しかし、果してこれが先生のイメージされた風景であったかどうかは分らない。そうであれかしと祈るばかりである。
【入選】 前田佐久雄(福井県)
■水上勉作品名: 「弥陀の舞」(朝日新聞社)
■撮影場所: 越前市大瀧町 大瀧神社
■撮影日時: 2010年7月17日
■水上作品との関連:
「弥陀の舞」は福井県越前市(旧今立町)が舞台である。主人公は紙すき職人の弥平とくみ。この二人が参詣したであろう、紙祖神岡太神社、大瀧神社は今も変りない。
■コメント:
この夏、「弥陀の舞」の舞台である越前市(旧今立町)へ行き、弥平のモデルといわれた人間国宝岩野市兵衛さんにお会いできた。「弥陀の舞」は「越前和紙が何枚もつみ重ねてあると、そのへりに手をあててみるがいい。漉いた女の、ぬくもりがつたわってくる」で終っている。この日、岩野市兵衛さんが漉きあげた和紙に触れ、私はぬくもりを体験した。
【入選】 三浦三博(福井県)
■水上勉作品名: 「越前竹人形」(中央公論社)
■撮影場所: 坂井市三国町神明
■撮影日時: 2010年8月28日17時45分
■水上作品との関連:
越前竹人形の中に登場する遊廓は実際には芦原に存在しなかったと思われます。私は隣町(三国)に住む者で、越前竹人形の舞台になっている廓が昭和30年の初頭まで三国に存在しました。それをイメージして今回の作品を応募しました。
■コメント:
写真にある風景は、昭和30年初頭まで実際に存在した遊廓の通りです。私自身はその当時小学生でしたが、大人になってからの話では遊廓が数ヶ所存在したことを聞かされました。(通称出村と言われた場所)
【入選】 宮崎正治(福井県)
■水上勉作品名: 「霧と影」(河出書房新社)
■撮影場所: 高浜町城山公園より
■撮影日時: 1999年11月2日
■水上作品との関連:
青葉山の山中を薬の行商人が深い樹海の中の樵道を飛ぶように下って行く描写が今でも忘れることができない。昭和43年発行のふるさと紀行文学「若狭路」の中でも青葉山のことを「原始林がただ青々と山をとりまくだけで、それは恐ろしいほどの深さなのである」と記している。
■コメント:
私が水上先生の小説を読んだのは「霧と影」が初めて。そして「若狭湾の惨劇」「死の流域」「飢餓海峡」など推理小説が大好きでした。中でも「霧と影」「飢餓海峡」はよかったですね。私は若い頃、若狭小浜に住んでいたので青葉山や舞鶴へ行くたび小説を思いだします。特に「飢餓海峡」の犬飼多吉の名前は忘れられないです。
【入選】 森下智行(福井県)
■水上勉作品名: 「若狭湾の惨劇」(角川書店)
■撮影場所: おおい町本郷
■撮影日時: 2010年4月6日
■水上作品との関連:
この桜の木は、おおい町本郷小学校横の桜の木です。
桜の木の下を流れるのが佐分利川、向いの街道が佐分利街道。
また野尻鉱泉が有った野尻区はここより約1.2㎞上流を左に入った集落である。
■コメント:
(作品では)当時、兇行に及んだ6月11日は桜は葉桜になっていたが、前日釣りに出かけたオリンピア繊維社長の風間豪平、福井に出張と出て行った野尻鉱泉社長赤松宗平、また、大阪府警の井賀警部補、坪井刑事。兇行にかかわった浮田恭三郎、風間雪子、殺害された雪子の許嫁、生野光次、また、この事件の犯人逮捕に活躍した車掌の時岡保次。主登場人物の姿を桜の木は見ていたのではないか。
【入選】 渡辺俊策(福井県)
■水上勉作品名: 「波影」(文藝春秋新社)
■撮影場所: 小浜市香取(三丁町)
■撮影日時: 2010年6月8日
■水上作品との関連:
陰の世界に住み、幸少なく死亡していく社会の底辺に生きる人間の心のさまよいと苦悩を描いた水上勉氏の初期の作品の中で代表作といえよう。
■コメント:
廓の世界における、芸者、女将、その息子と娘、それぞれの心の葛藤を描いた力作である。
この作品は、昭和39年に発刊されて、その後映画化され、小浜でロケが行われた。