一滴の水脈
10.一滴の水滴の中に宇宙
小さな人口五千の大飯町に、四つの原子力発電所ができます。そして隣の高浜にも四基の原発が稼動する。あわせて八個の、まあ、建設中のもあわせてでございますけれども、八つもの原子力発電所が密集しているのです。こういうところはまあ非常に日本でも珍しいと思いますが、大島半島の水の出ない村に生まれた少年たちが村を出た頃は、伝染病になっても、医者もきてくれない、舟につんで小浜のお医者さんに連れて行こうとしても、途中の舟で病人は事切れるという不便な辺境でございました。そこが現在、人類の火壷といわれるエネルギーの最先端をいく原子力発電所をいただくことで、はじめて水というものを、まあ、冷却水で要りますから、そういうものをボーリングしてもらった。科学の力で、いまは天水を屋根に受けてお風呂に入るようなこともないのです。
村の人々ははじめて豊富な水というものにめぐまれた。科学は大きく国土を変えておりますけれども、たしかに成長路線に遅れていたこの若狭は原発誘致によって、経済的な地場産業のなかった生活に潤いを持ち得ました。長男行政というか、おおぜいの人たちが苦しんで誘致した結果ですけれども、都会を受益都市と申しましょうか、そういうエネルギーを目いっぱい消費する都会の中に紛れこんでいる次、三男は必ずしも安全ではない原発を密集させているこの故郷をどう思うでしょうか。
それは一口に簡単にはいえない問題でございます。私も日夜そのことを考えない日はないのですけれど、物や金のおかげで贅沢できても、心の貧しい人々の氾濫は淋しい思いにさせられます。儀山や大拙さんのハングリーな時代に彼らがいった、一滴の水滴の中に宇宙があるという、こういう思想、これもやっぱり価値があると思うんです。この節約の親分のような大老師さまたちの思想をとって日本を贅沢三昧させておる、昼でもガンガン灯をつけてですね。夜はまた夜で、パチンコ屋見ればわかりますが、何百何千の豆電球を昼のようにともして享楽している都市と、そしてまだこの村には火葬場がなくて送電線の下に我々は、父母を穴掘って埋めておりますが、そういう土葬の村が今日もあって生きているという現代をじっくり私は見て、そして人間が生き急ぐことのために置き忘れてゆくもののことを考え、取り戻せるものならば取り戻し、そしてまたこの文明との共存を考え、本当に人間というものは儀山老師、どつちの方がいいんでしょうかなあと毎晩、(私は儀山老師に会うていないんですけど、)目つぶりますとねえ、勝手なんでございますけれど、和尚は出ておいでになるんですね。