一滴の水脈
3.一滴の水を惜しめ
まあ、有名な話でございますけれども、私が一滴ということにこだわる一つの話があるんでございます。よく晴れた日は田んぼへ出たり、畑へ出たりして働くお方で、雨が降れば坐禅を組むといったことが僧堂のきまりだったようです。その日も外で作務(さむ)をして働いて、汗だくになって帰寺された老師がお風呂へ入ろうとなさると、雲水が焚きすぎて熱かったんですね。それで、水を持ってこいと怒鳴られた。若い一人の小僧が、手桶に水を汲んでまいりましてそれをうめるんですね。申し訳ありませんでしたといって加減をよくして老師さまをお入れして、そして自分は半分ほど残ったその残りの水をポイと外へ捨てたんだそうです。それを見ておられた儀山さんがもったいないことをするな。朝から日照りで木や草が泣いている声が聞こえなんだかと。なぜ二、三歩あるいて草の根、木の根に水をかけてやらなんだ。まあ、そういうことをおっしゃったんですね。それでその雲水は地べたに伏しまして、申し訳ないことをいたしましたといって老師に謝った。
まあ、その時に、禅宗では小悟といって小さなお悟りを重ね重ねて大きな悟りの境地に入るといいますが、秀れた老師さまのこぼされた言葉から自分をつかむという、そういったことを非常に尊ぶんでございますが、何でもない日常作務の間にそういう言葉が金銀のようにきらめいて落ちてくる。それをちゃんと拾う心をもてという宗派でございますから、この雲水はその時に老師に向い、どうか私、今日からこのような間違いはいたしませんから、しずくの水、滴水(てきすい)という名を頂戴いたしとうございますといったら、老師はいいじゃろうとおっしゃられた。こういう説話が残っておるんでございますが、たぶん本当だったんでしょう。
私は小さい自分から和尚さまからこの話を聞くたびに、それぞれの年齢の時代でいろいろ感懐は違うんでございますけど、今日物書きになって思いますのに、この雲水はひれ伏した時に、自分の捨てた水がいっぱいこの曹源寺の庭の草の葉の上に散っていたのを見た。そこには、いっぱい水滴があった。ご存じのように水滴というのは丸い。その丸いトンボの目玉のような水滴に、夕方の曹源寺の松林の空に何百と輝いていた星が、あるいはその水滴に映っでいたかもしれない。そういったものを見た雲水は、ああ、いま、和尚は何を言っているか。小さな滴(しずく)のなかにも全宇宙が映っている、そういうようなものを悟ったのかもしれないと、私は作家で勝手に空想してみるんでございます。
この話はいろんなふかいものを我々に教えます。節約ということも大事なことでございますけど、木や草が朝から日照りで泣いているが、その声が聞こえぬかというところに、人間は二つある耳にもう一つ心の耳というか、三つ目の耳を持てといわれたような、まあ、そのようなことを儀山老師はおっしゃてないんだけれども、そのようにも受け取れるんですね。
この滴水は福知山の近くの白道路(はどうじ)という村に生まれて、お父さんお母さんを早く亡くしたので、神崎村の方へ行きましてお寺へ入りました。由利(ゆり)という名字で、この日から滴水という名になりましたが、由利滴水はご存じのように初代、天竜寺の管長となられた滴水禅師のことです。
そういうふうに儀山さんに風呂場で叱られたことが、人間をつくったといえるでしょう。一生このお方は鼻を噛んでも紙を使わなかった。手で噛んで、そして水で手を洗われたというふうな言い伝えも残っております。京都の北の方の林丘寺(りんきゅうじ)というお寺で亡くなられました。ここを自妨になさっておられましたが、お墓があります。そこのお墓の横に、今日もお参りしますと「曹源一滴水」と書いた碑がございます。つまり若いときに、一滴の水を惜しめと、草や木の命の声を聞けといわれたことを守った人です。