3.11

2013年3月14日

 先日、3月11日に実施したイベント『墨跡を語る会』の日には、2年前の大震災と同日だったことから開会前に黙とうを行う一幕があり、ある意味イベント自体より小生の意識に深く残りました。もう、あれから2年も過ぎたとは…。月日が過ぎるのは早いのか、遅いのか。感じ方は人それぞれでしょうが、自分自身はどうだったのか?と、深く考える一日になりました。
 震災という観点から文学をみると、有名なものでは鴨長明の『方丈記』が頭に浮かびますね。世の中が混沌として、一筋の光すら感じることができないとき、人が覚えるのは無常感でしょうか?絶望でしょうか?鴨長明のように、固執しない人生に喜びを見いだせると現代人の幸せの定義が変わってくるのかもしれませんね。周りの人からみると不幸にみえる人でも、実際は幸せと考えてる人もいるでしょう。もちろん、反対に幸せそうに見えても、実は不幸だと考えている人もいることでしょう。幸、不幸は流動的なもので、決して固定の概念ではないということを、方丈記という日本が誇る古典文学が教えてくれているような気がしますね。まさに、「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく留まりたるためしなし」といったところでしょうか。多くの人が抱える震災(もちろん震災以外のものもあると思いますが)という傷痕は、いつか無くなることはあるんでしょうか?
 3月11日、小生が担当した西田幾多郎の抱えていた心の葛藤ともあいまって、深淵をのぞき込み思考する一日となってしまいました。(S)
   西田曰く「哲学の動機は人生の悲哀でなければならない」